2011年5月24日火曜日

“シル・ヴ・プレ”の北の町へ。

ドイツ滞在中の典子さん、半年ぶりにパリに来ているコロリさん、それに(由)と(宏)の4人で、リールとその周辺に行きました。
じつはこの4人でのイギリス南部旅行を計画していて、パリからドーヴァーに渡るTGVとフェリーも予約してあったんだけど、震災、原発ですっかりその気が失せていたのです。でもせめてTGVのキップは使おうか、ということになり、とりあえずリールへ。リールには既に2度ほど行っている(宏)だけれど、郊外のクロワにあるマレ・ステヴァンスの建物を前から見たかったというのも理由のひとつです。

「公爵夫人の施療院」台所は一面にデルフトのタイル。

























リールの街をぶらついて施療院などを見学。その日のうちに“Lam”(リール近代美術館)を見に行こうとメトロで南の郊外のヴィルヌーヴ・ダスクへ。駅前からバスに乗り継いでようやくたどりついたけど、門が閉まっている。持っていたガイドのデータが古くて、休館日が変っていたのだった。
で翌日は、まずトラムで北の郊外クロワにあるマレ・ステヴァンスの“ヴィラ・カヴロワ”へ。グーグルマップのプリントによれば、すぐそこを曲がった突き当たりにその家があるはず。と思ったら、まっすぐ延びた並木道の入口には電動の柵がある。お屋敷街の私道なのです。……と、するする扉が開いて車が出てきた。これ幸いと入り込んで、旧軽井沢みたいな通りを優雅に散歩。ところが突き当たりの門が完全に閉鎖されていた。
クロワのお屋敷街。奥にカヴロワ邸があるのだけれど。

















しかたなく引き返し、大廻りしてJ.F.ケネディ大通りへ出て、さっきの裏門の向こう側、カヴロワ邸前に到着。ここは1930年代初め、ルーベの繊維会社経営者カヴロワ家のために建てられた、長さ90m、広さ2400㎡というとんでもない近代建築の住宅。
改装中なのは知ってたけど、外観だけでも見られたらと思っていたら、幸い門が開いている。門の脇には小振りな、といってもわがばにゅうの宿よりずっと大きな門番小屋。木立の向こうに建つ母屋の前に工事のおじさんがいたので、外だけ見てもいいかと尋ねたら、「ダメ。今門を閉めるとこ。9月の歴史遺産の日においで」。2年後の完成と聞いていたけど、念のために訊いてみたら「4年か5年」 だそうです。
 で、遠くから撮ったのがこれです。ほんとは車のウシロの木立の向こうまで続いている。
地元の黄土色レンガで覆われたコンクリート建築です。
















またトラムに乗って隣町のルーベへ。15世紀から栄えた繊維産業の町。1932年のきれいなアール・デコ建築のプールが産業美術館に改装されています。プール両側に並んだタイル張りのシャワー室や更衣室もうまーく利用されていてかっこいい。
美術館の名も“La Piscine”(プール)です。
ここの明るいレストランで昼食をすませ、今度はメトロを乗り継いでヴィルヌーヴ・ダスクの“Lam”へリベンジ。
広い庭には野外彫刻がある。

















新たに増築された棟が“Art Brut”の展示室になっていて見応えがあります。 
これはヘンリー・ダーカー。

















さて、次はどこにいこうかな? 典子さんがテキトウに地図を見て「ここなんかどう?」 と言ったベルグという町を、緑のミシュランで調べてみたら、なかなかいいところらしい。赤のミシュランをリール駅のキオスクで立ち見(すみません)してメモったホテルに(由)が電話、予約が取れたのです。
ベルグは運河と中世の市壁、そして17世紀にヴォーバンが築いた壕に囲まれた要塞都市。ブルゴーニュ公が造った方形の塔なんかも残っている。
尖塔は昔の修道院のもの。

















でもやはりフランドルの町だから、中心の広場には50の鐘のカリオンがあるブフロワがそびえています。
狭い螺旋階段で上るブフロワの高さは17m。

















そして、ブフロワの向かいの市役所の前には、フランドル独特の巨人人形が座っている。
市長にラマルティーヌを選んだ市民のシンボルです。

















ぐるりと巡っても1時間半ほどの小さな町は、どの門を出ても壕や運河の水辺がある。
カナル(運河)の白鳥は、かなり近寄っても平気。













カナルのカナール(鴨)。コルベール(野鴨)なのかも。






















リール行きの電車に間があるので、ついでにすぐ隣のダンケルクにも足を伸ばしました。
国境の港町ダンケルク。

















背がすらっと高いフランドルの人たちは、例えばカフェでコーヒーを運んできたときなんかに“シル・ヴ・プレ”  という。ベルギー人と同じ使い方です。ビールの種類が多くてうまいのもベルギーと同じ。 北の国2泊3日の旅でした。(宏)

2011年5月14日土曜日

5月、庭はさらに花盛り。

木々の花が終わったら、バラやシャクヤクが次々に咲き始めました。
ウチの庭は基本的に(宏)が木の剪定をし、(由)が草花担当。決めたわけではないけど、いつの間にかそうなっています。
前の住人が植えたバラ。私なら白にしたんだけどな…。


















もと文生の部屋だった離れの窓辺の黄バラ。匂いがすごくいい。

















イギリスの田舎家の庭が理想ですが、計画性がないのと面倒くさがりなので、
造園雑誌にあるみたいな端正なものにはなりません。


玄関から裏庭にまわる小径。こぼれ種で生え放題なんだけど。


















これも勝手に生えたクロタネソウ(青)と昼咲き月見草(ピンク)。


















ちょっと「ごくせん」のタイトルバックみたいだね。

















これから夏にかけては、匂いのいい花が 咲くのでうれしい。中でも大好きなのはスイカズラ。日当たりさえよければどんどん伸びてくれて垣根に絡むので、ツタよりもずっといいのです。
萩尾望都の「ポーの一族」の中にスイカズラが出てくる。


















今年はジャスミンが元気ないのです。

















一昨年までは屋根からテラスにかけてジャスミンが茂り、すてきな日陰を作ってくれたのだけれど、屋根を損ねるというので1階の高さで切ってしまったら、今年はちっとも蔓が伸びず、花も少ない。残念。(由)

2011年5月11日水曜日

ビュット・オ・カイユのミスティック。

石畳の坂道に小さな一軒家や長屋風の建物が並び、メイン・ストリートには気楽なレストランやカフェが並ぶ13区の下町ビュット・オ・カイユ。ここではグラフィティ作家の作品がいっぱい見られます。
ビュット・オ・カイユの中心地。

















ウズラが丘の中心にある八百屋さんの横も背後の壁もラクガキ・アートだらけ。そして……。

バロー通りの坂道のふもと。













だれ?

 












あふりか?













ろま?













サンク・ディアマン通りのカフェ。































他にもたくさんあるけれど、なんといっても多いのが、この丘の住人でグラフィティ界のスター作家、Misstic の作品なのです。(宏)

2011年5月10日火曜日

ビュット・オ・カイユでネコを見た。

13区ビュット・オ・カイユ(ウズラが丘)の歩道にネコが座っていた。
ミャンと猫なで声をかけても「気を散らせないで」とばかり、ちらっとこっちを見るだけで、ひたすら窓を見上げています。

サンク・ディヤマン(5つのダイヤモンド)通り。

















ウチの黒猫ヨル,ハルがこういう状態のときはたいてい、視線の先に小鳥か虫がいる。

兄弟(姉妹)なのかにゃあ。それとも子どもたち?

















草花いっぱいの窓辺に2匹のネコがいて、路上のネコを見ていたのでした。
のどかなウズラが丘の初夏の風景です。(宏)

2011年5月1日日曜日

震災支援写真展。

このところパリでも、震災被災者のためのコンサートや映画・演劇、展覧会、バザーなど、さまざまな支援行事が行われています。
エリゼ宮の近くにある「ギャルリーためなが」では、日本人写真家10人の展覧会が開かれている。これも震災支援のチャリティー展で、売り上げはすべて被災地に送られるという。友人の山本 豊(ユタカさん)も出品しているというので行ってみました。

5月7日まで。右にヴァンドンゲンの絵が見える。













会場。手前は矢野コウゾウさんの作品。











ユタカさんの作品。














山本豊コーナー。











武田正彦さんのエトルタ風景は8×10で撮影された。


































会場の隅に置かれていた出品者の写真集の中に、広川泰士さんが1994年に出版した "Still Crazy, nuclear power plants as seen in Japanese landscapes" (原発・53基の原子炉)が置かれていた。現在を予見したような、静謐でコワイそして美しい写真集だった。(宏)


バスティーユ広場の反原発集会。

30日(土曜)の午後、バスチーユ広場で反原発集会とデモがあるというので、福島の人たちの役には立たないと思ったけれど、とにかく出かけました。
チェルノブイリの子どもたちを支援する組織など、反あるいは脱原発を目指すいくつかのNGO団体の主催です。

















気持ちのいい初夏の陽射しの下、大勢の(と言いたいところだけれど、じつは思ったより少なめの)人たちが集まっている。

途中でパラパラにわか雨。


















思い思いのスタイルの老若男女いろんな人たちです。

この他、ロシア語の幕もあった。


















日仏交流のNGOの人たちも参加していて、横断幕には日本語もあり、日本の状況の報告もありました。

でもこのポスターを背負っていたのはフランス人。
















 スリーマイル島、チェルノブイリ、フクシマ、そして次はどこ?

ラ・アーグはノルマンディ、ル・ビュゲはローヌ河岸。


買って飲む、もといカッテノムはモーゼル川沿い。































なにしろフランスは世界第2の原発大国。だから……。

これは左翼連合のプラカードと旗。

















「脱原子力のために、早くエコロジー化計画を!」というわけです。

旗はグリーン・ピース。右はチェルノブイリの犠牲者。















集会後は原子力安全局への行進だったけれど、予定があってデモは失礼してしまいした。(宏)