2011年6月23日木曜日

建築家ロベール・マレ・ステヴァンスを知ってますか?

数年前にビュット・オ・カイユの蚤の市で安く手に入れた椅子。 素材は鉄。マレ・ステヴァンス1928年のオリジナルです。
ちょっと塗装が剥げ、サビも出てます。
















先月、リール郊外のクロワにマレ・ステヴァンスが設計したカヴロワ邸を見に行った。修復中で敷地の端っこから眺めただけだったけれど、門の脇に管理人のための家があった。小さい(といってもわが家よりずっと大きい)けれど本屋と同じ造りだから、この地方で作られた黄土色のレンガの外装や、入口の庇の曲線、張り出した2階の窓の構成などを間近に見ることができた。
ヴィラ・カヴロワの管理人棟。1931〜32年。

















1920〜30年代の近代建築をリードした建築家ロベール・マレ・ステヴァンスは、当時、ル・コルビュジエと並ぶ存在だった。フランスではかなり有名です。でもその仕事は、個人の住宅建築や、博覧会の展示館、商店の内装、映画の装置などが中心だったから、世界的にはそんなに知られていない。
シンプルな箱形が基本だけれど、凸凹で陰影をつけたり、アール・デコ模様のステンド グラスを使ったり、細部にいろんな工夫が見られる。
設計した住宅建築の中でも、カヴロワ邸と並んで有名なのが、ポール・ポワレ邸とノアイユ邸。3つともパリではなく田舎の広い敷地に建っている。
パリの西郊メジー・シュル・セーヌの丘にあるのが、オートクチュールの元祖デザイナーだった、ポール・ポワレの家です。
ヴィラ・ポール・ポワレ。1924年。
















町はずれの緑の丘に建つ真っ白な家は、豪華客船みたいになんとも優雅なたたずまい。吹き抜けのサロンからは、緑につつまれたセーヌを見下ろせる。
ただしここも今のところ、9月の歴史遺産の日だけしか公開されていないのがザンネン。

その点、パリからは遠いけれど、南仏の古都イエールにあるノアイユ邸は、市の文化センターとして使われていて、中もいつでも見ることができるしあわせな建物です。毎年春に開かれる「イエール国際モードフェスティバル」 の会場としても有名。
芸術愛好家で多くのアーティストを援助していたお金持ちの子爵ド・ノアイユ夫妻が、好きなアーティストを招いていた、プライベート・ホテルみたいな別荘です。はるかに地中海を望む家は、明るい黄土色に塗られている。たぶん眼下の中世の街並に合わせたんだろう。明るい室内プールは、今は展示やファッション・ショーに使わている。幾何学的な庭園もマレ・ステヴァンスの作です。
ヴィラ・ノアイユ。1923年。















パリ16区の住宅街には、マレ・ステヴァンスが設計した6棟の家が並ぶ路地があります。その名も「マレ・ステヴァンス通り」という。どの家も、彼の友人だった彫刻家や音楽家たちの家で、いちばん手前左手の12番地の建物が、マレ・ステヴァンス当人の事務所兼住宅だった。
マレ・ステヴァンス通りのアトリエ住宅群。1927年。
















15区、ヴォージラール通りから入るスクアール・ヴェルジェンヌという路地の奥にあるバリエ邸は、マレ・ステヴァンス建築の協力者でガラス制作者のルイ・バリエのアトリエ住宅です。
バリエ邸。1932年。

















一時はかなり荒れ果てていたこの建物、ポール・ポワレ邸のあるメジー出身の企業家イヴォン・プーランが修復し、現代美術やデザインの企画展をする画廊として公開されていた。
階段脇の廊下に伸びたバリエ作のステンドグラスが間近に見られ、デコ模様の陰影がカッコよかった。
ルイ・バリエのステンドグラス。

















だいぶ前のことだけれど、テレビ取材でここを訪れたとき、プーラン夫妻に最上階のテラスでシャンパンをご馳走になったことがあった。
ところが、去年の秋ごろから画廊がいつも閉っているので心配していたら、プーラン氏が今年の初めに亡くなったという・・・。建物も売りに出ているのかもしれない。もちろん歴史記念建築に指定されているから、無茶苦茶なことにはならないとは思うけど、プーランさんの志が無駄にならないといいなぁ。

カルティエ・ブレッソン写真館のサロンの椅子。復刻品。

















先日、アンリ・カルティエ・ブレッソン財団の写真館に行ったら、ウチにあるのと同じマレ・ステヴァンスの椅子がたくさん並んでいました。(宏)

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