2011年4月24日日曜日

「おいしいパリ暦」

もうご存知の方もいると思うけれど、(由)が雑誌「フィガロ・ジャポン」に連載していた食べものの記事「おいしいパリ暦」が、本になりました。

阪急コミュニケーションズ。1700円でーす。

















ほんとうは3月の末に出るはずだったのだけれど、大震災で紙が足りなくなって、発売が半月ほど延びました。バニューの宿の話や写真もいろいろ登場します。読んでくださいね。
雑誌に書いた記事のうち、店が閉店になってしまったものは書籍化のときに外してしまったのですが、その中の「ムール貝」の記事は、故堀内誠一さんのことを書いた思い入れのあるものなので、紹介できなかったのがとても残念なのです。このブログに再録しますので、どうぞこの機会に読んでください。(由)

ベルギー名物のムール貝の蒸し煮を、モンマルトルの丘で。
Moules frites
ムール貝とフライドポテト

生まれて初めてムール貝を食べたのは、たしか故堀内誠一さんのパリ郊外のアパートでだった。
どんな状況だったか、他に誰がいたかも覚えていないけれど、堀内さんが貝殻をひとつ取って「これでピンセットみたいに身をつまむのよ」と通の食べ方を伝授してくれたこと、殻に残った貝柱を剥がして食べなかったので「もったいない!」とケイベツされたことはよく覚えている。
それから月日が経ち、今は私が日本から来た友人たちに、エラそうにムールの食べ方を教える立場になった。なにしろムール貝は値段が安く、大鍋にドーンと作ってそのまま食卓に出せるので、来客時にはたいへんラクな料理だ。
アサリみたいに長時間砂を吐かせる必要はないが、浅瀬に埋めた木の杭に貝を付着させて養殖するので、木っ端や紐をくわえ込んでいるのを流水でひとつひとつ掃除しなければならないのが、面倒といえば面倒。あとは深鍋にバターを溶かしてエシャロットのみじん切りを炒め、そこにムール貝を放り込んだら白ワインを注ぎ、蓋をして蒸し煮にするだけだ。
これはともかく大量に作って、殻を山のように積み上げながら食べるのが醍醐味。正式な料理名は「ムール・マリニエール」といって、これにフライドポテトを添えたものはベルギーのブリュッセルの名物ということになっている。パリでもカフェの本日の料理などにはよく登場するけれど、あまり凝った料理でもないし、なにせ単価が安いので、これを看板にする店というとベルギー系の有名チェーン店くらいしか思い浮かばない。
で、ムール貝は家で食べるものと決めていたが、去年の夏、友人に「パリでムールが食べたい」と言われ、それがけっこう難題なことに気づいた。鮮度と蒸し加減が文句なく、つけ合わせのポテトの揚げ具合もOKな店ってあるか?

ムール貝に合う飲み物は、
金色のベルギービール。

その時に見つけたのが、モンマルトルの丘の北側にある「ル・ブリュッセルズ・カフェ」だった。
名前の通り、ビールが売りもののベルギー風カフェだけれど、ムール貝料理がいつも食べられて種類も豊富。独特の鉄鍋で供されるムール貝は一人前約1kg! 白ワインで蒸した「ブリュッセル風」の他に、クリームの入った「ノルマンディ風」、カレー味の「インド風」など各種あり、中でもロックフォールチーズをたっぷり溶かし込んだ「ルエルグ風」は、チーズ好きには見逃せない珍味だ。
英仏海峡の海岸で養殖され「ブショ」と呼ばれる小粒のムール貝は、ふっくらと蒸し加減も絶妙。エシャロットの他にぶつ切りのセロリがたくさん入っているのが香ばしくていい。鍋いっぱいの貝は食べても食べてもなくならないように見えるけれど、堀内さんの言いつけ通り殻を片手にせっせと身を口に運べば、一緒に注文したベルギービールを味わうのも忘れるほど熱中してしまう。
昼間は近所の人たちが静かにコーヒーを飲み、夜はムールとビール目当てに若者たちが集まってくるこのカフェ。でも料理上手のご主人ジョヴァンニさんはベルギー人じゃなく、イタリア人だった。

2011年4月23日土曜日

続いて、パリ落書きいろいろ。

ルドリュ・ロラン駅のすぐ東の路地パサージュ・ド・ラ・マン・ドールの壁に、こんな落書きがあった。紙を貼付けたもので、ラクガキというよりラク貼りかな。

下のヤセ男は1部が破られて欠損しているみたい。

















貼るラクガキといえば、色タイルを並べた“インヴェーダー”が有名。シャロンヌ通りのインヴェーダーは、通常よりも大きなタイルが使われている。

小さいタイルのほうがもっとかわいいんべーだー。


















そして、ルドリュ・ロラン通りの閉じた扉には、ハイコントラスト写真のラク貼り人物がいた。

この手の切り抜き写真シリーズもあちこちで目にする。
















それから、ルドリュ・ロラン通りの歩道で、こんな抽象ラクガキを見つけた。

ピンクの平行線の先端は矢印状になっている。











蛍光ピンクの2本線をずーっとたどっていったら、あれ? 途中から2本線の間に土が……。落書きではなく、街灯の電線の敷設工事でした。

陽射しが強くてわかりにくいけれど。











でも、壁じゃなく道路の落書きも案外多い。よくあるのは短いメッセージの文字を型紙プリントしたのだけど、13区の新国立図書館フランソワ・ミッテランの大階段下に、こんなのが並んでいました。

傘? ワイングラス男? 作者は別人ですね。















14区ルネ・コテイ通りの階段下にあった落書き文字はもっと意味不明です。たいていがこの近所の通りの名なんだけど、で? まさか殺人予告でもないでしょうがさっぱりわからない。

4が上にあるのは1、2、3と書いて場所が無くなったから。















ナゾの落書き文字の脇から階段を上ると、リュ・デ・ザルティストです。

アーテイスト通りへ上る階段。













やはり芸術家通り。こんな正統派?落描きがあった。





















このあたり、1920〜30年代以来、今でも芸術家のアトリエ住宅が多いところです。(宏)

2011年4月22日金曜日

パリの路地裏のキリクー。

9区のアンパス・ブリアールは、ロシュシュアール通りとモブージュ通りを結ぶ抜け道。長さは99mあるけれど、いちばん狭いところの巾は1m80という細い路地です。

西端の屋根の下のコーナーにはSDFのおじさんがいた。

















ひっそりした路地に並ぶ建物の壁の下のほうに、“パリのキリクー”というタイトルがついた落書きがあった。大ヒットしたアニメでおなじみの小さなKIRIKOUが、機動隊に追われている。できるだけ移民を排除しようとしているサルコさんの政策への抗議の図ですね。

キリクーは玖保キリコ作、でなくアフリカの民話がもと。

















この落書きにはEMANEという署名がある。今のところ他の作品には出会っていません。(宏)

2011年4月12日火曜日

ソー公園の桜と鴨の親子。

いい天気が続いて、気温は23℃。いつも太極拳をしている区画の白い桜はもう盛りを過ぎて、しきりに花びらが散っています。そこで、反対側の紅い桜の園へ足を延ばすと…。
遠くから見るとまるで火事場のような、赤い八重桜の園。

















10日の日曜日は、パリ在住の日本人+フランス人が 大量にお花見に訪れたようだけれど、月曜日の朝は人影も少なく、ジョギングと散歩の地元民ばかり。満開の花はまだ散る様子もなく、静かに咲き誇っています。
家に帰ろうと運河のほとりを歩いていたら、あーっ、鴨の親子だ!
この春生まれた雛たちが、母さん鴨と一緒に泳いでるー。


















ここには6羽しかいないけど、雛は全部で11羽いましたよ。

















公園からの帰り道には藤の花が真っ盛り。なぜかこの近所には藤が多い。いい匂いが風に乗って流れてきます。
白い藤はちょっと珍しい。藤は剪定が難しそうだね。

















うちの庭でも、桜が終わってライラックやリンゴが 咲き始めました。
塀ぎわに並ぶ薄紫のライラック。夕方になるとよく匂う。


















寝室の前には赤紫のライラック。これはちょっとクサイ匂い。


















 
リンゴは蕾のうちは艶やかな紅色なのに、開花すると真っ白になる。

メキシコオレンジは、花がすんだらしっかり剪定してやらないと。

















4月のうちからこんなにいろいろ咲いちゃったら、5、6月は咲く花が無くなってしまうじゃないの、と少々心配なのです。(由)

2011年4月10日日曜日

庭がうれしいくろねこよるはる。

日の暮れるのがずいぶん遅くなって、隣の小学校の改築工事の音がこわくて昼間は外に出られないはるも、5時に工事が終るとよるのマネをして庭に出られるようになりました。

落ち着いてるのがよる。だいじょうぶかな?のはる。

















コワイ音もしないとわかると、いっしょに探検です。

なぜか先を行くのがはる。











はるはいつもシッポを立てて歩きます。






















そのうち、よるは庭の隅っこ、はるは草むらへ……。

体中こすりつけて、きもちいいーっ。












何をみつけたのか、いっしんふらん。





















と思ったら茂みにもぐりこんでかくれんぼ……。

まだアヴリルだけど、目。


















ねこはきらくでいいなー。でもガッちゃんは地震のときすっごくこわかったみたい。福島のネコはたいへんだろうなー。(宏)

2011年4月4日月曜日

工芸・技術博物館のガレのガラスとガラスのライオン。

きのうの続きというか、アール・ゼ・メチエ(Arts et Métiers アーゼ・メチエ)の話です。サン・マルタン・デ・シャン教会の元修道院だった建物に、1794年に開設されたというこのミュゼは、啓蒙の時代以降の、科学技術のいろんな分野の発明品を展示している。

12世紀の教会と18世紀の修道院の建物。


















高い天井の建物の大きな階段で1階(日本式では2階)へ上り、さらに新しい階段を上って2階(屋根裏の階)へ。そこから順に下りて来るのが順路です。
さまざまなものを測定したり分析するための科学道具のコーナーに、パスカルが考案した計算器がある。

1642年。最初の機械式計算器。
















マテリアルのコーナーには、エミール・ガレの大きな陳列キャビネットが 置かれている。ガラスの棚にはガレの作品がぎっしり。そのキャビネットもカレの作品です。

オルセーよりもたくさん並んでいる。

















で、少し先の大きなケースには、ヘビをくわえた原寸大のライオン。剥製のように見えるけれどすべてガラス製だという。エライものとこういう奇怪なものが一緒にあるのがいい。

ふさふさした毛もガラスなんだって。

















キカイと言えば、1階の床には重機械類を移動するためのトロッコのレールが敷かれている。織機や印刷機、金属加工機など、見るからに頼もしくきれいです。

今どきのパソコンやカメラにはこういう信頼感が無い。


















機械のコーナーのフロクみたいに、自動人形劇場という部屋があって、大小さまざまな機械仕掛けの人形が並んでいる。

実演は水曜と日曜の15時。予約制。機会があったらぜひ。
















教会には初期の飛行機や、自動車があり、フーコーの振り子が地球の自転を証明している。見学の生徒たちも楽しそうです。

ふーこーのふりこ。
















初期の自転車、 リュミエール兄弟の映写機、エジソンの蓄音機、ラボワジエの化学実験器具、橋や港の模型……。見る人の興味次第でおもしろさは変るけれど、大人の玩具箱のような博物館。

銅板で覆われたホーム壁面の、潜水艇の窓に通信衛星。

















どうせ行くならジュール・ヴェルヌのノーチラス号みたいな、11号線アール・ゼ・メチエ駅から、ですね。(宏)

マレの北のほうで。

アール・ゼ・メチエ(アーゼ・メチエと書くほうがいいのかな)の教会サン・マルタン・デ・シャンと、通りを挟んで対のように建つ教会サン・ニコラ・デ・シャンの小さな緑地に、2本の桜が花盛りの枝を伸ばしていた。

13世紀のフランボワイヤン・ゴシック建築。

















教会裏手のチュルビゴ通りに面した風刺新聞『シャルリー・エブド』の建物の横を入るオ・メル通りはミニ中華街。フォー専門店が満員だったので、手前の安い旨い速いの地元民の店で海鮮焼きそば。(由)は米のすいとん(ガレットと書いてあった)入りスープ。+餃子1皿と1/4の赤を2人で、〆て16ユーロちょっとです。

こういう新聞、大正時代には日本にもあったそう。

















満足して(宏)はアール・ゼ・メチエ=工芸・技術博物館のパスカルの計算器を撮りに。(由)は、この通りの食品スーパーへ。

パリで最も古くから中国人が住みついた地区です。


















博物館を出た後、改装工事が始まったというタンプル市場のようすを見ようと、ブルターニュ通りをタンプル地区へ。
19世紀の市場建築がすっかりハダカにされていた。


















シャルロ通りのパサージュ・レッツで、12人の写真家の展覧会をやっている。ピクテ賞という環境写真の国際コンテストの候補作品らしい。
中で惹かれたのが、デンマークの作家がケニアで撮影したシリーズ。

 Christian Als















そして、アメリカ人作家の、ちょっとデパルドンを思わせる、でもいかにもアメリカらしいふしぎな(こわい)風景。超大画面です。

Michel Epstein


















シャルロ通りを南へ行くと、サント・クロワ教会の塀に。バッテンとマルが。

鉄のⅩは壁の倒壊を防ぐアンクル(アンカー・錨)。

















キャトル・フィス通りの停留所でバスを待ちながら見上げたら、向こうの建物の壁画が見えた。

オードリエット通り1番地の壁。上のほう。

















曇り空に見えた青い空でした。(宏爾)

2011年4月3日日曜日

花がいっぱい、バニューの春。

満開のサクラ(ンボ)の木。今年はいっぱい実がなるかな?

















大震災の前後約1カ月を東京で過ごし、いささかボーゼンとしたままバニューの我が家に帰り着きました。
春が遅く桜も1、2輪しか開花していなかった日本に比べて、パリ近郊は春爛漫。 我が家の庭も百花繚乱で、桜も西洋梨も木瓜もチューリップも花ニラもいっせいに咲き揃っている。例年より半月ぐらい早いんじゃないかな?
蕾だった木瓜も、すっかり開花しました。


















カンパネラやスズランと同居で、肩身の狭そうなムスカリ。


















去年まで花のつかなかった椿が、今年はとても元気。


















赤いチューリップは前の住人が植えたもの。


















ピンクの八重咲きは、去年岩松直子サンに球根をもらった。

















      
西洋梨です。花が上を向いて咲くのが桜と違うところ。


















 ふだんは、帰宅して半日もすればすっかりこのバニュー暮らしに 意識が戻ってしまうのに、今回ばかりは、花いっぱいの楽園のような平和な景色がなんだかひどく非日常的に思えて、いつまでも違和感がとれないのです。地震酔いはもう治ったはずなのだけれど。(由)
毎年かならず桜の花を突つきにくるハト。実が減るから止めて!