2011年6月29日水曜日

ブールデル美術館のグレ展。

男もののパリコレを見に東京から来た勝井北斗くん(mint designs)と、ブールデル美術館で開催中のマダム・グレ(1903〜93)の回顧展を見てきました。
ヴェルサイユ宮殿の村上隆やプチ・パレのペリアンなど、異質な場所にアートを置くのが最近の流行だけれど、この展覧会もその流れに乗ったようで、ブールデルの彫刻の中にグレのドレスが配されている。改装中のガリエラ美術館(モードと衣装の美術館)が主催です。
グレのドレープが彫刻っぽい。

















『弓を引くヘラクレス』など、やけにたくましくデカイ彫像が多いブールデル作品に、とろんとしたグレのドレスがそんなに違和感なく見えます。
ブールデルのアトリエ。グレの服は木枠で囲まれて。

















やたらに濃い作品が目立つブールデルだけど、アトリエには、やさしげな作品もいくつかある。木立に覆われた薄暗いアトリエにもドレスが置かれ、窓から差しこむやわらかな光に浮かび上がっています。
彫刻家になりたかったというグレが若い頃に作った小さな彫刻。

















写真やモード画もいっぱい展示されているけれど、グレの服は40〜50年代のものがいいみたい。デザイン過剰な気がする70〜80年代の服は、ブールデル抜きの企画展用展示室にまとめられている。やはりどうにもケンカして合わないと思ったんだろうな。

古いアトリエと裏庭。

















ブールデルのアトリエと裏庭は、日本の古寺の境内みたいな雰囲気がある。ただし、木立の間にもかなりデカイ彫刻が、無造作に置かれています。(宏)

のびきってる黒猫ヨルハル。

車や工事の音がしない日。恐がり屋のハルは、
陽の当たる芝生でうれしそう。















いっぽうヨルは、寒いときはあったかい場所、暑いときは涼しい場所にいるのが正しいネコのあり方なのだと,風通しのいい木陰へ。
で、鳥の声に思わず、ん?

























でも、どうでもいいや、とすぐ寝てしまいました。(宏)






2011年6月27日月曜日

マレ・ステヴァンスの室内。

16区マレ・ステヴァンス通りにある彼の建築事務所だった場所が、美術展の会場として公開されているという記事をTéléramaでみつけ、さっそく行ってみた。
12番地の扉に、小さな張り紙が出ている。ほんとは "SRV" つまり電話予約が必要だったようだけれど、留守番兼案内役の女性が親切に入れてくれました。
次の来訪者(右)が来たので、腰を上げるお留守番さん。

















廊下の奥の2部屋と、階段を下りた吹き抜けの広い部屋が会場です。
”Propos d'Europe 10”というタイトルのついたベルギーのアーティスト10人の展覧会で、主催は "Fondation Hippocrene" という財団。この財団の設立者ジャン・ギヨ氏が、12番地の元マレ・ステヴァンスの自宅兼仕事場の今の持ち主で、このステヴァンスの事務所部分を財団のスペースとして使っているらしい。
半円形の張り出し部分が彼女の定位置です。

















全面の窓から入る光にあふれた半地下、客船を思わせる階段の手すり、シンプルで気持ちのいい空間です。
あ、部屋ばかり見ていて、展示作品をロクに見なかった。ごめんなさい。

円塔の窓はバリエの白黒ステンドグラス。












扉の鉄細工はジャン・プルーヴェ。





















内部をもう少し見られるかな? と内心思ってたけれど、まぁ満足。いい天気だったので隣のマーテル邸などのディテールを観察して帰りました。
・・・ところで、ル・コルビュジエのロシュ邸はここのすぐ近くにあって、公開されています。(宏)

植物は強し……。

暑い、暑い、今日はパリ近郊でも37℃だって。
暑いと植物の茂り方がハンパじゃない。ちょっと油断していると徒長枝を伸ばし、屋根を覆ってくる。(宏)は毎日、机に向かうヒマがないほど庭仕事に追われています。
ところで先週は、パリ地方では珍しく風の強い日が続いて、その度に庭の離れの屋根がギシギシキィーッとイヤな音を立てる。気になって梯子に登ってみたら、屋根に接した白カエデの木の幹が、育って膨らんで軒庇の部分に食い込み、風に揺られるたびに屋根ごと軋んでいるのでした。
もともと幹の部分の屋根をくりぬいてあったのが、さらに育った。

















(宏)が、脱獄囚みたいに鉄ヤスリや金槌を持って梯子に登り、半日奮闘。白カエデの幹を削り、庇の木の土台とトタン部分をカットして、なんとか一件落着。でもさらに育ったら、また同じ作業を繰り返すのかー。
下から見ると、食い込み方がよく分かる。

















ところで、ウチの玄関脇にはいまアジサイが満開。土質が強アルカリ性なのか、毎年みごとに真っ赤な花を咲かせます。
(宏)が「アジサイは青いほうが風情がある」と言って、2年前に涼しげな青色の花をいっぱいつけたガクアジサイを買ってきて、すぐ横に植えた。でも1年たったら、そのガクアジサイもやっぱりピンク色に変わってしまったのでした……。
これはこれでキレイですね。

















「今度は白を買おうか」 と言っている、懲りない(宏)です。(由)

2011年6月23日木曜日

建築家ロベール・マレ・ステヴァンスを知ってますか?

数年前にビュット・オ・カイユの蚤の市で安く手に入れた椅子。 素材は鉄。マレ・ステヴァンス1928年のオリジナルです。
ちょっと塗装が剥げ、サビも出てます。
















先月、リール郊外のクロワにマレ・ステヴァンスが設計したカヴロワ邸を見に行った。修復中で敷地の端っこから眺めただけだったけれど、門の脇に管理人のための家があった。小さい(といってもわが家よりずっと大きい)けれど本屋と同じ造りだから、この地方で作られた黄土色のレンガの外装や、入口の庇の曲線、張り出した2階の窓の構成などを間近に見ることができた。
ヴィラ・カヴロワの管理人棟。1931〜32年。

















1920〜30年代の近代建築をリードした建築家ロベール・マレ・ステヴァンスは、当時、ル・コルビュジエと並ぶ存在だった。フランスではかなり有名です。でもその仕事は、個人の住宅建築や、博覧会の展示館、商店の内装、映画の装置などが中心だったから、世界的にはそんなに知られていない。
シンプルな箱形が基本だけれど、凸凹で陰影をつけたり、アール・デコ模様のステンド グラスを使ったり、細部にいろんな工夫が見られる。
設計した住宅建築の中でも、カヴロワ邸と並んで有名なのが、ポール・ポワレ邸とノアイユ邸。3つともパリではなく田舎の広い敷地に建っている。
パリの西郊メジー・シュル・セーヌの丘にあるのが、オートクチュールの元祖デザイナーだった、ポール・ポワレの家です。
ヴィラ・ポール・ポワレ。1924年。
















町はずれの緑の丘に建つ真っ白な家は、豪華客船みたいになんとも優雅なたたずまい。吹き抜けのサロンからは、緑につつまれたセーヌを見下ろせる。
ただしここも今のところ、9月の歴史遺産の日だけしか公開されていないのがザンネン。

その点、パリからは遠いけれど、南仏の古都イエールにあるノアイユ邸は、市の文化センターとして使われていて、中もいつでも見ることができるしあわせな建物です。毎年春に開かれる「イエール国際モードフェスティバル」 の会場としても有名。
芸術愛好家で多くのアーティストを援助していたお金持ちの子爵ド・ノアイユ夫妻が、好きなアーティストを招いていた、プライベート・ホテルみたいな別荘です。はるかに地中海を望む家は、明るい黄土色に塗られている。たぶん眼下の中世の街並に合わせたんだろう。明るい室内プールは、今は展示やファッション・ショーに使わている。幾何学的な庭園もマレ・ステヴァンスの作です。
ヴィラ・ノアイユ。1923年。















パリ16区の住宅街には、マレ・ステヴァンスが設計した6棟の家が並ぶ路地があります。その名も「マレ・ステヴァンス通り」という。どの家も、彼の友人だった彫刻家や音楽家たちの家で、いちばん手前左手の12番地の建物が、マレ・ステヴァンス当人の事務所兼住宅だった。
マレ・ステヴァンス通りのアトリエ住宅群。1927年。
















15区、ヴォージラール通りから入るスクアール・ヴェルジェンヌという路地の奥にあるバリエ邸は、マレ・ステヴァンス建築の協力者でガラス制作者のルイ・バリエのアトリエ住宅です。
バリエ邸。1932年。

















一時はかなり荒れ果てていたこの建物、ポール・ポワレ邸のあるメジー出身の企業家イヴォン・プーランが修復し、現代美術やデザインの企画展をする画廊として公開されていた。
階段脇の廊下に伸びたバリエ作のステンドグラスが間近に見られ、デコ模様の陰影がカッコよかった。
ルイ・バリエのステンドグラス。

















だいぶ前のことだけれど、テレビ取材でここを訪れたとき、プーラン夫妻に最上階のテラスでシャンパンをご馳走になったことがあった。
ところが、去年の秋ごろから画廊がいつも閉っているので心配していたら、プーラン氏が今年の初めに亡くなったという・・・。建物も売りに出ているのかもしれない。もちろん歴史記念建築に指定されているから、無茶苦茶なことにはならないとは思うけど、プーランさんの志が無駄にならないといいなぁ。

カルティエ・ブレッソン写真館のサロンの椅子。復刻品。

















先日、アンリ・カルティエ・ブレッソン財団の写真館に行ったら、ウチにあるのと同じマレ・ステヴァンスの椅子がたくさん並んでいました。(宏)

2011年6月20日月曜日

青空市で買った鍋自慢。

19日の日曜日は、パリのあちこちで青空市が開かれていました。いい季節だものね。
父の日だったので、里子が14区の定食屋で(宏)に昼ごはんをごちそうしてくれて、そのままrue Raymond Losserandの青空市を3人でぶらぶら見て歩きました。全体にBrocante(古物市)というよりは、Vide grenier(ガラクタ市)。近所の人が、もう使わなくなった古着や台所用品を並べている。昔はそんな中に安くていいものがたくさんあったのだけれど、最近はビニール・プラスチックものが多くて、なかなか掘り出し物は見つかりません。それに今まであまりに買い過ぎて、(由)には皿購入禁止令、(宏)には椅子購入禁止令が出ている。
で、安い灰皿や古ボタンなどを控えめに買っていたのだけれど、あ、やっぱりいいもの見つけた!
きれいなブルーのル・クルーゼの片手鍋セット。5つ揃いで20ユーロです。
里子に2つ分けてあげたので、3つしか写ってないけど。

















古い物だけれど、状態が良くてあまり汚れていない。「棚に飾っていたのよ。どうか大事に使ってね」って、売り手のおばさんがちょっと名残り惜しそうな表情で言った。家まで(宏)が持ってくれたけど、すごい重さでした。
鍋は青空市で買う、と(由)は 決めています。安いんだもん。
ちなみに今回の市ではないけれど、前に買った鍋も紹介。みんなル・クルーゼですね。
大きいほうの鍋は、前に住んでいた家の地下室で拾ったもの。


















たしかフォントネ・オ・ローズの青空市で購入。2ユーロだった。

















どれも煮ものとかキンピラを作るのにとても便利で、ぜったい手放せないなー。 (由)

アンズ収穫。

フランスはこの春、史上まれに見る暑さで日照り続きでした。5月に行ったソー公園は、青かった芝生が見るも無惨に枯れかけていた。
水不足で噴水もお休み。芝生はハゲちょろけです。

















我が家の庭の果樹も水不足のせいか実があまりならず、サクランボは鳥にすっかり食べられてしまうし、イチジクは熟れないうちに干からびて落ちてしまいました。唯一がんばって実をつけてくれたのは、アンズ。
これで2キロくらい? かな。甘酸っぱくておいしい。

















例年と比べると量はやはり少ないけれど、味のいい実をザルに2杯ほど収穫しました。 朝ごはんに、おやつに齧って……。
1キロの実でジャムが3瓶できた。さっそく食べてます。

















残りはジャムにしました。アンズはすぐ煮溶けるから、あんまり長く煮なくてもいいのです。
そして6月になったら、イルドフランス地方は雨が降り始め、なんだか日本の梅雨みたいになってきました。(由)

2011年6月19日日曜日

シャルロット・ペリアン展。

プチ・パレで、シャルロット・ペリアンの展覧会をやっている。2005年にもポンピドゥ・センターでの回顧展があったけれど、「写真からデザインへ」という副題のついた今回の展示は、彼女自身の撮った写真と、そのデザインした作品との関係を中心に、ペリアンの創造のもとを探るというものです。
1928年サヴォワでのペリアン。













石ころ、貝殻、骨、樹木など、自然の中で見つけたものに影響を受けて作られた作品が大半だけれど、農民の暮らしの中から生まれた伝統技術に感動し、それを 応用したものも多い。戦争に突入した1940〜43年の日本で、伝統工芸の素材や技を活かした仕事をしたのも、そういう心があったからだね、きっと。



ペリアンの椅子とスツール。


ペリアンが撮った農民の椅子。






















ペリアンの写真。デパルドンみたい。

























有料の会場のほかに、無料の常設展示室のあちこちにも、ペリアンの写真や家具、レジェが協力した大きなコラージュのパネルなどを点在させた展覧会で、ちょっと散漫でおかしいな、と思ったら、常設展示室に置かれた家具のほとんどがカッシーナの提供だった。
缶詰みたいな円筒形の台に載せられた金属製の山小屋。

















1938年にペリアンとピエール・ジャンヌレが計画し、戦争のために実現できなかったという、雪山用の組み立て式山小屋が、プチ・パレの前に置かれています。(宏)

2011年6月14日火曜日

ル・バルの北島敬三写真展。

編集者のヨシカちゃんから、「パリで北島敬三さんが写真展を開く。見に行けないから代わりに見て」という知らせをもらいました。
クリシー広場近くの路地にある、ドキュメント写真専門の展示場 ”LE BAL" へ。ここは昔、キャバレー、ダンスホールだった建物を改装したもの。
入口のポスター。
















”TOKYO-e" という名のこの展覧会は、北島さんと高梨豊、渡部雄吉さんの3人展だった。
高梨「町」1977年と、渡部「張り込み日記」1958年。
















最初の展示室に、今はもう残っていない町の商店のようすをほぼ原寸大に伸ばした高梨作品,殺人事件の捜査を追った渡部さんの写真が並べられている。
で、北島さんの写真は、ダンスホール(バル)時代の天井や柱が残された地下の大展示室だ。
右は「ニューヨーク」1981〜84年。

















かつては歓楽の場だった空間に、沖縄コザの歓楽街のいかにも70年代っぽいハイコン写真が静かに並んでいる。

1986〜89年の、力強いカラー作品。












東欧、1983〜84年。






















80年代前半に撮影された東欧のシリーズが印象的でした。
次回はぜひ、今の日本を捉えた写真を見せてほしいなぁ、と。

公園の隅にはコンクリート製の卓球台があります。


















小さなカフェもある「ル・バル」の前は、行き止まりの路地に沿った公園です。周囲の古い建物の壁に囲まれた、のどかなところでした。(宏)

2011年6月12日日曜日

6月11日、パリの脱原発デモ。

ちょっと風が冷たい日だったけれど、早めに着いたレピュブリック広場にはもうたくさんの人が集まっていました。ユタカさん悦子さん木部さんあゆみさんチャコちゃん辻さんそれにさとこ奈緒子さん文生・・・・知ってる人いっぱい。知らない人はもっといっぱい。
犬も参加です。












見たことのある犬?失礼、四方田犬彦さん。












「共和国の女神」像前をさあ出発。












書の先生に書いてもらったという悦子さん。












原発を造ったのがまずザンネン












巨大な旗の下の子どもたち。












ポンピドゥ・センター前を行く。












オテル・ド・ヴィル(市庁舎)前に到着。












仲野麻紀とky。



















































終点の市庁舎前の集会では、コリンさんや裕規さんもあいさつ。コンサートでは、浴衣姿の麻紀ちゃんたちが、被災地への想いを込めて大漁節、相馬盆歌を演奏してくれました。
たくさんの取材陣がいた。

















夜のテレビでは、各局が日本とパリのデモのようすを報道していた。この日の参加者は主催者発表が5000人、警察は1250人。ゆうきさんは、間を取って3500人と思ってる、と。
原発大国フランスではこれでも画期的な人数らしい。でもこのフランスでもついに、脱原発の世論が多数になってきた。原爆も原発もいらない。被爆国日本は、ほんとにもうやめようよ。
経済より人の命がたいせつ。このあたりまえのことが、あたりまえになるように・・・・・。(宏)

2011年6月8日水曜日

6月11日、レピュブリック広場へ。

もうご存知でしょうが、今週の土曜日、日本の各地で「脱原発100万人アクション」が予定されています。それに呼応して、パリでもデモをしようよ、という計画がすすめられています。
コリンさんや飛幡祐規さんたちが、反原発に取り組んでいるフランスの人たちに働きかけ、日仏いっしょにレピュブリック広場からオテル・ド・ヴィルまでのデモ行進です。






















デモの後にはコンサートもあって、サックスの仲野麻紀さんたちも演奏します。彼女はノルマンディでの演奏予定を変更しての参加です。
今回は日本人中心に、ということです。原爆も原発ももういらない。みんなで声を上げるしかないのです。(宏・由)