2011年9月23日金曜日

リベラシオンの脱原発デモの記事。

昨日の "Libération" に、東京で6万人が参加したという19日のデモが取り上げられていました。こちらで日本のネットのニュースを見る限り、東京新聞など一部を除いては、ほとんど報道されていないみたい。デモ、”リベ”では大きな写真入りです。
ほんとに原発はないほうがいい。

















「反原発と《ウソ》に抗議して、日本人が街頭へ」みたいな見出しです。できるだけ原発報道を抑える政府やマスコミにもかかわらず、ネットで繋がり行動する市民がどんどん増えているという趣旨。

1Q84がフランスでもベストセラーです。















村上春樹の《情報の制限よりもたいせつなのは、放射能の制限だ》という言葉が引用されています。
原発大国フランスでも、来年の大統領選に名乗り上げている社会党候補6人は、今の原発依存度75%を25年には50%に減らすという合意をしたそう。でもオーブリーとロワイヤルの2人は、はっきりと《脱原発》を公言した。社会党はこれまで一貫して原発推進派だったのです。
日本の政治家も財界もマスコミも、もういいかげんに方針転換を。(宏)

2011年9月21日水曜日

文化遺産の日:ムニエのチョコレート工場。

 Journée du patrimoine の2日目、18日の日曜日は空も晴れて爽やかなので、マルヌ川の旧ムニエのチョコレート工場まで遠征することにしました。
ここは現在 Nestlé の所有で、対外・広報センターとして使われている。チョコレートはもう生産していないけれど、この日はその広大な施設を一般公開、そしてお土産までくれるのです。我々は過去にもう3回ほど見学している常連。でも、いつ行ってもその建築の美しさ、ロケーションの良さに感心してしまう。
川に張り出した水車の棟。J・ソルニエ設計で1872に完成。















マルヌ川沿いの町ノワジエルの製薬業者だった ムニエさんが板チョコを開発、息子のエミールが19世紀後半に大規模な工場を作り、ノワジエルは「ムニエのチョコレート」の町として発展したんだって。当時の、鉄骨構造に色タイルと装飾レンガの華麗な建物が、きちんと修復・保存されています。
ムニエのMが入ったタイル。













マルヌ川の流れで巨大なタービンを動かすこの工場は、20世紀初頭には世界最大だったとか。もう動いていないけど、黒光りした美しい機械が構内にズラーッと並んでいる。
水力でカカオ豆を砕き砂糖を混ぜる、エコな工場だったのです。
















他にもエッフェルが設計したホールとか、カテドラルと呼ばれる20世紀初頭の鉄骨コンクリートの建物とか、建築ファンにはもうため息ものの建造物がいくつも連なっている。その各所にスタンドが出て、ネスレのコーヒー新製品の試飲をやっています。
エッフェルのホールの鉄細工の窓と天井。1884年完成。















各棟の周りに広がる庭も建物に合わせてみごとに設計され、よく手入れされていて、家族連れの見学者たちもピクニック気分。でも敷地の外側の川岸では、文化遺産なんか知らん、という風情のオジサンが一人、真剣に釣り糸を垂れていた。これもなかなかカッコ良かった。
本格的釣り装束です。オーイ、何が釣れるんだー?



お土産の紙袋(インスタントコーヒー各種、チョコレートバーなど)を抱えて外に出ると、そこはエミール・ムニエが19世紀末に作った理想の労働者村。市役所や学校の建物のある広場を中心に、通りが碁盤の目に延び、規格化された庭付きの一軒家が並びます。
美術史を勉強中の地元の高校生が、ボランティアで町の見学ガイドをしてくれた。広場のカフェ・レストランが左右対称に2軒向かい合ってるのは、政治の話で右派と左派が喧嘩しないように、という配慮なのだって。左派のカフェで9ユーロの昼定食を食べました。
左派の店。前菜+メイン+デザートで9ユーロは今どき安い!















レンガの労働者用住宅は、質素だけれどしっかりとした作りで住み心地よさそう! こういう家を見るとすぐ住みたくなる。駅まで遠いし、パリからもちょっと時間がかかるけどね。
一軒家を二つに分けて、各64m2で家賃は当時の1フランだった。















村を抜けて駅まで歩いたら、道の途中にC・ポルツァンパルクの設計した給水塔がありました。(由)
ちょっと廃墟みたいで不気味。手前の街灯がなんか好き。

2011年9月20日火曜日

グラン・パレの "DYNAMO FUKUSHIMA"。

土曜日、ヴィラ・スーラのオルロフさんちを見た後、(宏)はグラン・パレに回りました。
1900年のパリ万国博のために造られたグラン・パレ。大ホールのガラス屋根の写真を撮りたかったのがひとつの理由です。

13500㎡の空間を覆うガラス屋根です。
この大ホールでは、文化遺産の日の2日間、ヤン・トマというアーティストによる「ディナモ・フクシマ」というインスタレーションが行われていた。
広いホールの4か所に大きな風船があって、風船とコードで結ばれた自転車が周りを囲んでいる。来場者が自転車をこぐと、風船の中の明かりがついてホールを照らす、という仕掛け。
向こうの風船は電力不足です。
自転車をこぐひとりひとりが、エネルギーについて考え、福島原発の被災者に想いを馳せようという趣旨。入場者はけっこういたけれど、参加する人は半分くらいかな、という感じで、奥の自転車はパラパラ。
一生懸命の女の子です。
で、こいでみたら案外軽くこげる。全力でこぐ子どもたちもいて、そういう人が力を合わせると明かりが強くなります。電光掲示板が999999999に達すると、000000000から再スタート。拍手がわきます。
この催し、たくさんの日本のボランティアの人たちが協力していた。夕方でまだ明るかったけれど、夜にはきっときれいだったでしょう。 (宏)
回転数なのかワット数なのか、わからなかった。

2011年9月19日月曜日

文化遺産の日:シャナ・オルロフのアトリエ

9月17、18日の週末は、Journées du patrimoine=文化遺産公開の日。お天気もまずまずだったので、(由)と(宏)は土曜の午後、パリ14区のVilla Seuratにある彫刻家Chana Orloffのアトリエを見学に行きました。
といっても、我々はChanaがどんな人なのかまったく知らなかった。ただ、Villa Seuratという路地がダリやスーチンの住んだアトリエ横丁で、昔から「もし私たちが金持なら家を買いたい通り・ベスト10」の上位に入る場所だったので、ぜひそのアトリエの内部を見たい、と思ったのです。それにエリゼ宮やリュクサンブール宮みたいに、何時間も並ばなくてもいいしね。
石畳の両側にアトリエが並ぶ。真ん中の茶色いのがChanaの家。

















1925年にオーギュスト・ペレの建てたこのアトリエは、鉄骨むき出しの高い天井やスッキリと四角い壁がとても快適そう。やっぱり金持になったら住みたい! 
北向きの広い窓から、反射光が部屋いっぱいに入る。

















アトリエでは、今もここに住んでいるという、Chanaの孫にあたる女性と男性が、アトリエ建築や作品について詳しく説明してくれました。Chana Orloffという女性は19世紀末にウクライナで生まれ、家族でパリに来て、アール・デコラティフで美術を修め、肖像彫刻家として20年代に人気があったのだという。当時の彼女の作品は、滑らかでモダンにデフォルメされた、いかにもアールデコらしいもの。おびただしい数があって、これでアトリエが建てられたんですね。
アメリカでも人気が出て、展覧会も開かれた

















第2次大戦が始まると、ユダヤ系だったChana はスイスに逃げ、そこで制作。戦後パリに戻ってからの作品はずっと思索的になり、テクスチュアも粗くなって、戦前のファンからは忘れ去られてしまったのだって。でも、一貫して作り続けていた動物の彫刻は、とても愛嬌があってかわいい。
イナゴ。(宏)はカバかワニだと思ってた。
















行列はしないでも入れたけれど、このアトリエ見学、思いのほか人気があって、後から後から見学者が押しかけて大賑わい。ソルドのブティックみたいでした。(由)
中2階にもたくさんの作品が並ぶ。

2011年9月16日金曜日

わが家のぶどう祭り。

この10、11日はアントニーのワインとチーズ祭りに続いて、わが家でもぶどうの収穫祭りをして忙しい週末でした。
土曜日が34℃の晴天だったのに、日曜はなんと20℃ちょっと! そして午後からひどい雨降りで、ぶどう摘みは雨の中。元気のいい若者ミツルくんと奈緒子さんが濡れながら屋根のぶどうを採ってくれました。
離れの屋根いっぱいに生っているので、老人・子供はキケン。


















そして、これを手作業でつぶした後(ワイン農家では裸足になって踏むんだよね?)、3年前の(宏)の誕生日にプレゼントしたぶどう絞り器でプレスすると……、
きれいな葡萄色のジュースが、ほらこんなにたくさん。















底の溝を伝わって、ぶどう液が流れ出てきます。感動の一瞬。ジュースは濃くて甘ーくておいしいけれど、プルーンと同じで大量に飲むとお腹がゆるくなる。便秘の人向き。最初の年は、これをワインに、とがんばったのに、雑菌が混じってしまうのか、おいしいお酢になってしまいました。去年は(宏)が、これでぶどうのクーリ(ゆるいピュレ)を作りました。
まだまだ生ってるぶどう。放っておくと醗酵して庭中ワイン臭くなる。


















寒くなって雨が多くなると、ぶどうは屋根に落ちてヘドロみたいになるので、 枯れ葉のころにはまた屋根に登ってお掃除です。
皮がついたまま落ちると、黒くへばりついて剥くのがたいへん。




















この時期、ぶどうと同じようにたくさん採れるのが胡桃。ぶどうよりは手がかからなくて、自分で勝手に落ちてくれる。 風の強かった朝など、庭は胡桃だらけ。気がつくと、隣のアパートにもけっこう落ちているらしくて、住人がそっとくるみ拾いしています。
でも、庭の果物の収穫もこれで一段落。あとは年末のキウイまでお休みです。(由)

2011年9月14日水曜日

アントニーのワイン市。

10日の土曜日、この夏に2,3回しかなかったような真夏の陽射しの照りつける午後、アントニー恒例のワインとチーズの市 "Foire aux Fromages et aux Vins" へ行きました。京都から来ている直子さんも一緒です。

















教会前の広場と周辺の石畳の道に、屋台がぎっしり。とにかく順に巡りながら、よさそうなワインの試飲とチーズやソーセージ類の味見。
















ちゃんと撮ってね、と、ごきげんのおばさんたち。あーだこーだともう何杯もやってるのです。

















 で、いつまでやってるんだろ、ボクもなにかほしいなぁ。

















ソー公園でピクニックだった里子も合流。いい加減、いい気持ちになって、オーヴェルニュの屋台の脇で、アリゴを注文してひと休み。作りたてのアリゴはよく伸びておいしい。


















コルシカの生ハム「ロンゾ」、ブルターニュのブタの舌のソーセージ、サヴォワのチーズ3種(ボーフォール、モルビエ、コンテの2年もの)、ペリゴールのクルミの菓子を購入。



















ワインはベルジュラックの赤と白。そして、リュサック・サンテミリオンの赤を仕入れました。

今年で25回目のこのお祭り、思えば日本から来てアントニーに住み始めたのが、1987年の9月、一回目のフォワールが開かれたときだった。長くて、でも短い歳月だったなぁ。(宏)