2012年4月30日月曜日

ウチの天使たち

じつは、ウチには天使がけっこうたくさんいます
数えてみたら9人だった。でも、天井の梁とか、柱の陰とか、例によって撮影が難しい場所ばかりなので、なんとか撮れたのは7人だけでした。
角笛を吹く天使。20年くらい昔にヴェネツィアで購入。


















リュートを弾く天使。これも上と同時期に買った。

















竪琴を奏でる天使。











三バカ…じゃない三天使。これもイタリア製でしょうね。
























二天使。これは素焼きです。それとも金箔が剥げたのか。


















天使は何といってもイタリア製が美人。フランスのはブス。

















 昔よくイタリアに旅行したので、その時に買ったものが多い。バニューに越してからはずっと梁に取り付けたままで、クモの巣と埃まみれの、ちょっとカワイソウな天使さんたちです。
これはプロヴァンスのお土産。庭の隅でがんばっています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イタリアの復刻ものは、さすがに丁寧な作りで美しい。その点、フランスの青空市やお土産屋で売られている天使は、おおむね雑で幼稚なものが多いけど、たまにとても魅力的な表情のものがあって、なかなかカワイイのです。(由)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2012年4月20日金曜日

ソーの屋敷街。バルタールの家。ギマールの廃屋。

桜を見たついでにソーの住宅街を少し歩いた。
ソー公園の城館は、20世紀初頭の改修のときに屋根の形が変えられていたけれど、今、17世紀の原型に復元工事中です。このコルベール卿の居城とその庭園の周りにあるソーの街には、17世紀以来の立派な屋敷がたくさん並んでいるのです。
すごいなー、でかいなー、ごーかだなー。でもこんなに大きくちゃ掃除するのも大変だよね、と(由)が言う。

19世紀後半の家。











たしかにデカすぎる。










これは18世紀半ばでしょうね。



























上の18世紀の館の藤が、隣の家の塀にも長く伸びている。隣の塀の家は、パリの中央市場レ・アルの建築家ヴィクトル・バルタールが設計した自邸。鉄骨とガラスのレ・アルは、19世紀半ばの最先端建築だったけれど、この家は伝統的な石造り。でも瓦屋根の上にベルヴェデール(展望室)が突き出ているのがユニークです。
バルタールの家の庭はやたらに広い。











ヴィラ・バルタール 1859年。






















ソー駅の東、リセ通りの端の三角地には、ギマールが設計した「シャレ・ブラン」がある。この家が空家になっていたのを思い出して、その後どうなったかな、と見に行った。
ところがブラン(白い)荘は、ほとんど幽霊屋敷。伸び放題の庭木で入口の門も隠れそう。建物の姿もほとんど見えなくなっている。道路に面した木製の柵は、バラバラに壊れていて、鉄棒と金網でいい加減に押さえられている。
Chalet Blanc は、1908年。











門扉も埋まってしまいそう・・・。










横木の曲線がきれいだったのに。


























一段低い裏手の道路側の、駐車場や裏口の扉はラクガキだらけ。見上げるとせっかくのギマール・デザインの窓枠や屋根もかなり損傷が進んでいる。
石、レンガ、木、鉄、異素材の組み合わせもギマール印。












大きなガラス窓のサロンもお化けの部屋です。






















きっと持主に事情はあるんだろうけど、歴史記念物指定の建築だというのに、いったいこれはどうなっているんだろ。お金持ちの町ソー市と、フランスでいちばんオカネのあるというオー・ド・セーヌ県さん、なんとかして下さい。
もっとも、ビンボーな隣町バニューのわが家もだいぶ老朽化してあちこちガタが来ている。きっと持主に事情があるんです。(宏)

2012年4月18日水曜日

寒い日,ソー公園の桜。

3月と4月が逆転した気温が続いている。寒風がこわい音で吹きぬける午後に、ソー公園の桜の具合を見に行きました。
プチ・シャトー前の道の花壇に植えられた春の草花が、冷たい空気の中でけなげに咲いている。
ソーの街の花壇はさりげないけどいいセンス。
















ふつうなら散歩の人が多い森の道もまるで閑散としている。小さな白波が立つ運河の向こうの噴水が、風にあおられています。
散歩の家族。










噴水の周りにはとても近寄れそうもない。






















でも、桜は満開。本来なら花見のグループであふれているはずだけれど、集まった人たちも芝生に座っていられないらしく立ち花見。この冷え込みではね。
がんばっていたのはほとんどが日本と韓国の人たち。

















もうひとつの白い桜のコーナーは、もっと閑散としていた。
一重の山桜は散り始めています。

















今週末はあたたかくなるのかなぁ。(宏)

2012年4月13日金曜日

ヨルとハルのクロネコ対話。

窓辺の左の椅子からカーテン越しに外を見ていたヨルが、何かを見つけたのか、思わずニャン、といいました。
それを聞いて飛んできたハルが、右の椅子の背まで駆け上って、ニャニャンと声をあげながら外を見ています。
















でも、ハルには何も見えなかったのか、ヨルを見下ろしてニャニャン?
ヨルの返事は、ニャ・・・、でした。 おしまい。(宏)

2012年4月12日木曜日

ギマール設計のアパルトマン訪問。

建築家の(A)さん一家が住んでいるのは、アールヌーヴォー建築家エクトル・ギマールが設計したアパルトマン。幾棟ものギマール建築があるオトゥイユの一画で、せっかくなら外も内部もよく見えるときにと、休日の昼下がりのごはんに呼んでくれました。
アガール通り10番地がその集合住宅。
 









通りの表示もギマール。










雨樋にもギマール模様。


























5階の(A)さんのお宅は、扉や暖炉なども建築当時の状態がきれいに保全され、大きな窓からの明るい光にあふれている。
暖炉にはふしぎな形の鉄のカバーが据えられている。










出窓や間仕切りの扉の曲線が美しい。











バルコニーの鋳鉄の鉄柵もギマールそのもの。

























斜め向かいの集合住宅もギマール建築。これらの建物は1909年〜11年に建てられている。
屋根裏部屋の窓の庇がおもしろい。















(A)さん宅で真近に見たギマール様式の家は、どの部屋も明るく魅力的で、住み心地もよさそうでした。
1909年に結婚したギマールがモザール大通りに彼の最高傑作といわれる自邸を建てたのも同じころ。既にアール・ヌーヴォーの流行は終っていたけれど、彼の建築が流行とは関係なく、それぞれ独自の魅力を備えていることがわかります。
 近くにはやはり同じころに建てられたメッツァーラ邸や、初期の名作カステル・ベランジェもある。
メッツァーラ邸。吹き抜けのガラス天井。

2012年4月10日火曜日

サイタ、サイタ,桜ガサイタ。

日本は桜がようやく満開らしいけれど、わが家の桜は先週が見ごろでした。昨日からの冷たい雨に打たれて、今日はすっかり花が散ってしまったけど。
山桜系なので花と同時に葉も出る。先週の月曜日ころが満開だった。

















桜に代わって、今はリンゴの花がきれいに咲いています。
蕾のピンクが色っぽいね。

















復活祭の休日だった月曜日にソー公園に行ったら、白い桜の園がみごとに花盛りでした。でもカメラを持っていかなかったから、写真がない……残念。
八重桜のほうは来週あたりから見ごろかな?(由)

2012年4月2日月曜日

ハリネズミの訪問。

明日の朝回収に来るゴミを出そうと前庭に出たら、石畳の階段の暗闇に大きな亀の子タワシみたいなものが落ちている。あれ? と思ってよく見たら、ハリネズミくんです。
いっしょに出て来たハルも気がついて大興奮。
電気が点いて、おどおどした目がかわいい。















 
放っておいたら深夜の殺傷事件になりそうなので、(由)が小さな庭用シャベルでバケツに入れ、ネコも車も入らない隣の空き地の塀の中に釈放してやりました。(宏)

2012年4月1日日曜日

幻想の建築を描いた人マルセル・ストール。

自分で考えた建築物をひたすら描き続けていた無名の素人画家の回顧展が気になっていて、会期末ぎりぎりにメニルモンタンに行きました。
メニルモンタン通りの坂道を上ると、地元のグラフィティ画家ジェローム・メスナジェの大壁画。この辺りにはラクガキゲイジュツが多い。
オレたちメニルモンタンの若もの。
















愉快な絵のあるシテ・ド・レルミタージュのすぐ上が会場の “パヴィヨン・カレ・ド・ボードワン”。18世紀末の館を改装して去年開館したところ。
壊されそうな建物にいろんな絵がある。










館の庭園は公園になっています。




















母親に捨てられ養護施設で育ったというMarcel STORR(1911〜76)は 、市の緑地公園局職員としてブーローニュの森の庭石の補修などをしながら、1930年代から60点余りの絵を遺して死んだ。
教会の塔は次第にゴシック顔負けになっていく。










何か思いつくとその要素で埋め尽くされる。




















最初のころのテーマは、教会とカテドラル、そして天まで上るような塔。鉛筆で下描きをしたカンソンの紙に水彩と黒インクで仕上げている。赤茶色の画面は石のひとつひとつが細密に描き込まれ、建物の上のほうは極端なパースが付けられる。建物のふもとには、その巨大さを強調するように、人や並木、車などが小さく小さく描かれています。
30年代の大聖堂の絵の隅っこです。

地面が水平じゃない絵も多い。





























戦後は仕事柄か、植物建築みたいなものも描いている。
結婚もして幸せになった60年代からは、単体の建築から未来都市の構想に没頭。赤黒かった画面もカラフルになった。
自然との共生なんていう今の建築の風潮の先駆け?










幻想の都市景観は鳥瞰図?です。




















会場に掲げられたマルセルの言葉。『ピカソが何だっていうんだ。あいつはデッサンが描けないじゃないか。』
そして、『パリに原爆が落とされて、アメリカの大統領が来たら、パリを再建するためにボクの絵を見せてやるんだ。』
あ、ここに並べた絵は大きな画面の部分ばかりです。“神は細部に宿る“ からね。(宏)

庭に積み上げた枝の始末。

すっかり暖かくなったし、(由)も日本から戻って来たので、昨年末から気になっていた剪定後の庭の枝の始末をすることにしました。
なにしろ庭のテラスには、暮からずっと足の踏み場もないほど伐採した枝が散らばっていて、気の滅入る眺めだった。寒いあいだは見ないフリしていたけれど、春になったら庭で洗濯物を干すし、お茶や食前酒も楽しみたいし。
まずは(宏)が、枝を太さによって仕分け。細いものは短く切って紙袋に入れる。太い枝は少しずつ紐でくくって束ねる。
なんだか動物園の猛獣コーナーの黒豹みたいに見えるヨル。

















 紙袋は毎年、自治体から庭のある家に無料で配布されます。3月から10月までの毎月曜日に家の前に出しておくと、回収してくれる。落葉や刈った芝、木っ端など、庭から出るゴミはこれで集めて、まとめて土に還すという。かなりの重さにも耐えるほど丈夫で、デザインも去年はなかなか可愛かったけれど、今年は予算削減か、シンプルになって紙の質もちょっと落ちたみたい。
上部をクルクルと巻いて、両端をねじる。簡単で合理的。

















2人掛かりで夕方までかかってせっせと束ねた薪も、紙袋と一緒に回収してもらう。ウチでは暖炉をそんなに使わないので、使い切れない薪がたくさん残っているのです。でも紙袋の横に出しておいた薪の束は、夜のうちに無くなっていた。きっとどこかの暖炉で有効に使われるのでしょう。よかったよかった。
きれいになった石畳。ヨルは木屑の中で転げ回るのが大好き。

















桜の木の太い幹。これは何かに使えそうなので取っておく。

















というわけで、ウチのテラスは無事きれいになって、庭のテーブルと椅子もセットされました。夏モードの庭でお茶飲みたい人、ポルトガルの発泡ワイン飲みたい人、お待ちしています。(由)