2013年8月18日日曜日

BBQ。

ホソキさんから、久しぶりにセンゴクさんがパリに来たのでウチでBBQを、という誘いを受けました。このシーズン、わが家にも近所の庭から肉やソーセージを焼く匂いがしょっちゅう流れてくる。
ホソキ家のBBQ=バーベキューは、アトリエと母屋の間のホソキ中庭にセットされたBBQセットに炭火をおこして、ホソキさんが焼くのです。
シェフとアキコ・スーシェフ。BBQセットはアメリカ製。
冷たいロゼで始まり、ナスやクルジェット、ピーマン、ジャガイモ、そして朝市で仕入れたいろんな肉や魚を、ホソキシェフが手際よく次々と焼いてくれる。
華麗に焼き上がったカレイ。
そして肉。
メインゲストのセンゴクさん,ヒデさん、愛猫スイスの病気が一段落でほっとしたアキさん、それに(由)と(宏)は、ひたすら食べて飲むばかり。
いよいよ大木の梢部分も。でも完成にはまだまだかかる。
オナカいっぱいになって上ったアトリエには、部分ごとに描き続けている大きな木の新作が何点も出来ていた。そう、BBQシェフはアーティストだった。
(宏)はアトリエから下りるとき、階段を踏み外して床に転落しちゃった。ボクバタンキュー(BBQ)です。お騒がせしました。(宏)

2013年8月12日月曜日

8月のパリ。

みんなヴァカンスに出てしまう8月のパリは、道路もメトロも空いていて外国からの観光客の姿ばかりが目立ちます。 
セーヌの遊覧船は満員。

河畔のパリ・プラージュには、ヴァカンスに出ない人たち。

ふだんは学生街のサン・ミシェルも今は外国人ばかり。
ついでにバゲット買ってきて、と(由)に 言われたので、ダンフェールで途中下車したけれど、駅の近くの最初のパン屋は夏休み、ダゲール通りの2軒めも夏休み、3軒めもやっぱり夏休み‥‥。

では皆さん、ヴァカンスあけ21日に‥‥。だって。

八百屋も肉屋もチーズ屋もワイン屋も魚屋も。
ふだんなら買物の人で賑わう通りが閑散としている。でもバゲットを抱えた人が向こうからやってきた。で、4軒めのパン屋でようやくバゲットをゲットできました。(宏)

2013年8月5日月曜日

魯山人展のこと。

ギメ東洋美術館で開かれている『魯山人の芸術』展(9月6日まで)を観ました。北大路魯山人は陶芸や書画、篆刻などもこなした料理人。流派や型にとらわれない独自の世界を築いた人だった。
懐石料理の影響か、ドレッサージュと称してちまちま飾り立てる盛りつけが今のフランス料理の流行りだけれど、魯山人の豪快なドンとでかい大皿はこれを吹き飛ばすよう。でもあまりにもデカくて派手だから、使いたいとは思えない。作品というよりむしろ商品として作った茶碗や徳利は、もらえたらうれしいかも。
紅葉や鳥はリアルで繊細な絵。
とっくりもかわいい。
良寛の詩『十字街頭』を書いた屏風が、なかなかかっこいい。
でも、書家の森田子龍はこの書を酷評している。
魯山人は多芸多才だったけれど、かなりわがままで傲岸、独りよがりな人物だったらしい。話はずれるけれど、この展覧会のオープニング・セレモニーで聴いた文化庁長官という人のあいさつも、何とも独りよがりでコマッタ代物でした。
春に訪日したオランド大統領に話したことと前置きして、宇宙人に「地球で文化と科学に優れている国はそれぞれどこか」と訊かれた。私はすぐこう答えた。「その両方に優れた国が地球上に2つだけある。日本とフランスだ」‥‥、とさも得意げに披露したのです。
ユーモアもオチもなんも無い。これが日本の文化庁のトップの公式挨拶。あのね長官、ここはインド、カンボジア、タイ、中国,韓国‥‥と、アジア全体の美術館なんですよ。そこで、優れた国は2つだけって。そばのフランス人夫婦がオーララと頭を振ってた。(宏)と(由)は居たたまれなかったです,ホント。
どうやら長官が青柳正規さんに変わったらしい。やれやれよかった。(宏) 

2013年8月3日土曜日

終戦直後の実験プレファブ住宅街。

ノワジー・ル・セックのレトロ食堂でのゆるくおいしい昼食を終え、続いてマコトくんとアキさんの案内で2人の家の近くにある "La Cité Expérimentale de Merlin" という緑につつまれた住宅街を歩きました。
SNCF(フランス国鉄)の拠点だったノワジー・ル・セックは、第2次大戦中にドイツ軍の物資供給基地に使われていたため、1945年の連合軍による爆撃で街の大半が破壊されてしまった。戦後すぐに計画され、焼け野原だった6.5haの敷地に建設されたのが、この復興モデル住宅地なのです。
 「新しい建材で従来の建物に劣らない質の家を、少ない材料と省エネの建設で」というモットーで建てられたいろんな形のプレファブ住宅が並んでいます。
ということで歩き始めたら、庭仕事をしていたおじさんに声をかけられた。  
ここで生まれ育ったというおじさんです。
父親はSNCFの機関士だったというおじさん。爆撃したのはカナダ軍だったけど、この家はカナダ製なんだという。この人、ヒロシマ、ナガサキの死者よりも東京大空襲の死者が多かったなんて思い違いもあったけど、日本の歴史にやたら詳しかった。
講義が一段落したところで、さて見学再開です。フランスだけでなく、プレファブ建築の先進国だったアメリカやイギリスをはじめ、各国の業者が競って建てた家がある。
CITY LUMBER 木造。1947年。
ARMOR これも木造。1947年。
上の2軒はアメリカ製。もう取り壊されてしまった "UK100" というタイプは、フランス中の復興住宅に採用されたらしい。こういうの、練馬の実家の近くにあった米軍住宅地グランドハイツに並んでいたなぁ。今は光が丘団地になってるけど。
FINN HUS 1948年。
PUTALO 1948年。
この2棟はフィンランド製。もちろん木製。下のプータロー(いい名前だよね)というメーカー は、日本にもあります。
OMNIS 木造。建築年不詳。 
SHINDRAR コンクリート+レンガ。1946年。
上はスウェーデン、下はスイス製。なーるほど。
で、 以下はフランス製。木造が多い各国の家に比べて、フランスものは鉄骨やコンクリート製が中心。石綿を使ったものもあったけどもちろん今は残っていません。
SOTEBA  鉄骨コンクリートで陸屋根の家。1946年。
JEEP なんとも戦後っぽいネーミング。1946年。
GUTTON 伝統建築っぽい石造り。1946年。
当初の計画では150棟の予定だったけれど出来たのは56棟。そのうち26棟が外国製です。1980年にすべて払い下げられた後に建替えられた家もあって、今残っているオリジナルは 44棟。取り壊された中には、ジャン・プルーヴェ設計の家もあった。
 2000年に国の歴史記念建造物に指定されたので、もう壊されることはない。修復工事中の家が多いのはそのせいでしょう。(宏)