2014年4月27日日曜日

トークショーを終わって。2 パサージュ。

2回目は、都心部の右岸に残るパサージュ・クーヴェール(ガラス屋根付きのパサージュ)と、バスティーユの東側に点在する路地(パサージュやクール)についての話でした。
ヴァルター・ベンヤミンが “パリの原風景” と呼んだパサージュ・クーヴェールは、資本主義による消費社会が発展した19世紀に、鉄とガラスの建築技術で造られた商業空間です。
でも、デパートが出現した19世紀末から20世紀になって、パサージュの人気は一気に衰退。取り壊されたり荒れ果ててしまったものも多い。ボクがパリ(郊外)に住み始めた1987年には、ほとんどのパサージュがいかにもうらぶれた前世紀の遺物という感じだった。じつはその寂れ具合がまたよかった、ともいえるのだけれど・・・。
その後1990年代から21世紀になって、パサージュ・クーヴェールが再評価されるようになった。古いけれど味のある建築としての魅力と、ガラス屋根からのやわらかな光の空間が、今の時代感覚に適合しているのだと思います。
静かなギャルリ・ヴェロ・ドダ(1846年)。
モザイク床がきれいなギャルリ・ヴィヴィエンヌ(1846)。
レトロな雰囲気のパサージュ・ジュフロワ(1845)。
 ところでパサージュというのは、抜け道、通路のこと。で、パリには屋根付きではない抜け道のパサージュがあちこちにある。都心部にもこんな路地がひっそり隠れています。
ポンピドー・センター近くのパサージュ・モリエール。
 バスティーユ広場からナシオン広場へ通ずるフォブール・サンタントワーヌ通りの周辺には、雑然とした表通りの喧噪が信じられないような路地が20か所近くもある。反対側の通りへ抜けられるパサージュと、クール(中庭や袋小路)。これらのほとんどが、かつて家具職人たちの作業場だったところ。今も家具製作や塗装のアトリエも残っているけれど、デザインや建築、編集などのアトリエに転用されているところも多い。
パサージュ・ド・ラ・マン・ドール。
パサージュ・デュ・シャンティエ。
屋根付きと屋根の無いのと、公共空間と私的な空間の接点パサージュは、どちらもどこかなつかしく穏やかな空気が流れる不思議な空間です。
かつて穀物屋があったというパサージュ・ド・ラ・ボンヌ・グレーヌは、“Je m'en fous pas mal" というピアフの曲に歌われています。(宏)

2014年4月26日土曜日

トーク・ショー を終わって。1 ストリート・アート

19日と24日、駿河台のエスパス・ビブリオ。たくさんの方々に来ていただきました。
2時間を持たせる話術なんて無いので、それぞれ100点余りの写真を投影しての幻灯会でした。その写真の一部で、報告代わりにします。

1回目のテーマはパリのストリート・アート。ベルヴィル、メニルモンタン、サン・マルタン運河、ビュット・オ・カイユなどの下町を中心に、街角に描かれた作品や壁画を見て歩くパリ下町ゲイジュツ散策です。
マレ、フラン・ブルジョワ通り。Birdy Kidsの作品。
ベルヴィル、ストリート・アートの解放区デノワイエ通り。
クーロンヌ通りの“椅子男”。Fred le Chevalier作。
サン・マルタン運河の畔です。
運河脇の壁に製作中の HOPNNくんはイタリアから来た
13区ゴブラン裏。MissTIc と。
インヴェーダーでおなじみの Space Invader、路面に胎児を描く Foecus、キリンやシマウマを描くMoskoとその仲間たち、Némo、Jef Aeosol などの作品の数々と、市や区の依頼を受けて制作された INTI や黒田アキなどの巨大壁画も・・・。
ふつうの人々の日常の中にあるストリート・アート。
“白い男” で知られるジェローム・メスナジェが「ぼくは街角を自由に動く行商人のようでありたい。そして今の時代のため。通行人と街の浮浪者のためにもアートを届けるんだ。」みたいなことを言っています。(宏)