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2016年10月1日土曜日

ノーカーデーと中古車規制。

長い間ごぶさたしていたら、すっかり秋になってしまいました。

 さて、9月の最終日曜日、パリの都心部からクルマの走る姿が消えました。
といってももちろん、パトカー、消防車、救急車などの緊急車両とバス、タクシーは例外で、一般のクルマやバイクは11時から18時の間、全面通行禁止というもの。
パリ市の排気ガス削減キャンペーンの一環です。
セーニヌ河岸道路も自転車ものんびり。
雨上がりせいもあるけれど、ふだんは排気ガスでいっぱいの都心も、この日は気持ちよかった。
止まっているのはタクシーです。
 2025年までに、現在の温室効果ガスの排出量の75%削減を掲げるパリ市は、この7月から20年以上前に製造されたクルマを対象に、市内の走行を8時から20時まで禁止すると発表。今の所はほんとに止められたという話は聞いていないけれど、11月からは35ユーロ、来年1月からは68ユーロの罰金が科せられるそう。20年以上という規制も、年々さらに厳しくしていくらしい。
中古のフィアット・パンダに乗っているユタカさんは、そう言われても新車を買うほどユタカじゃないしな〜と。
モンマルトルの2CVレンタカー。
ヴィンテージもののクラシックカー愛好者団体などは、例外措置を求めているそう。
観光客向けにシトロエン2CVのレンタカーが人気だけれど、これもどうなるのかな? 
11月末にはパリでCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)が開かれます。(宏)

2015年12月10日木曜日

またトークショーのお知らせ。

駿河台の図書室カフェ「エスパス・ビブリオ」で、また性懲りもなくトークショーをします。2016年の1・2・3月の土曜の午後に一回ずつ。
今回のチラシです。
1月23日(土)は、シャルトルにある「ピカシェットの家」。
墓地の墓守が自分の家を、割れた皿の破片によるモザイクで覆い尽くしたもの。10月の『ovni』にも書いたのでもう読んだ人もいるかと思うけれど、紙上では掲載できなかったたくさんの写真で、細部まで魅力にあふれたアール・ブリュットの傑作を紹介します。
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壁も敷石も、花の壺も皿のカケラのモザイク模様。
今回のチラシです。
2月13日(土)は、 「異邦人のパリ」。
1月末に(由)の本『パリ、異邦人たちの味』が出るのに合わせ、パリに生きる異邦人の話をします。テロを実行した人を含めると140人近い命が失われてしまったけれど、パリには世界のあちこちからやってきた人たちが、他の存在を認めながら、それぞれの暮らし方で生きている。そんなパリの姿を、食べものの話を交えて伝えます。
その場で作ってくれるポーランドのサンドイッチ。
3月19日(土)は、「Foujitaの家」。
戦後、追われるようにパリに戻ったフジタが、キミヨ夫人と晩年を過ごしたパリ郊外の家は、屋根裏のアトリエでフジタが手作りした可愛らしいオブジェで溢れている。このアトリエにはランスの礼拝堂を飾る祭壇画の試作も残されている。エコール・ド・パリの寵児だったFoujita、戦争画の藤田とは違う、異邦人フジタのやさしく穏やかな一面が感じられます。
Foujitaの家は17世紀に建てられた農家だった。
せっかくの土曜の午後ですが、もし気が向いたらどうぞお出かけ下さい。 『パリ、異邦人たちの味』も即売します。(宏)
詳細は、ここをクリックして→ ESPACE BIBLIO のhpを見てください。

2015年11月24日火曜日

ふだんどおりに。

夏にフミ+ナオの赤ちゃんが生まれたり、取材が重なったりで、更新をサボっていたら、パソコンがダメになって復旧に手間取っていました。やれやれ一段落と思っていたところに、悲惨な出来事が起こってしまった。
いろんな問題を抱えながらも、多様な人々が他の人たちの存在を認めて、《自由・平等・友愛》という建前のもとで共生しているのがパリのいちばんいいところなのに。
あの日とは無関係の、ゾラの家の前にあった落書きです。
 このテロに対して、“戦争だ!”と言って爆撃するのが解決策だとはとうてい思えない。今パリでは、“あえてカフェのテラスに座ろう”という人が多いという。19世紀にドイツ軍に包囲された時にもパリ市民はそう言っていたらしい。
あの日の数日後のホソキさんのブログにあった、「亡くなった人たちも自爆した人たちもこのうららかな日を知らない」という一節が心に刺さります。パリに住む友人たちの多くも、“怖くて悲しいけれど、ふつうに過ごすしかないよね”と‥‥‥。
 で、次回から、ふつうのノーテンキなブログを再開します。(宏)

2015年7月16日木曜日

14 juillet の花火。

7月14日はフランスの革命記念日。その日か前日の夜には、フランス中の町で花火を打ち上げます。パリのトロカデロは14日、バニューの花火は13日だった。
会場は歩いて10分ほどの町のサッカー場。23時からというので、夕涼みがてら見に行きました。
 今年のテーマは、1914年〜18年の第一次大戦から100年を記念して「戦争と平和」。こっちの花火はテーマに合わせて音楽とシンクロする演出がふつうなのです。
  だいぶ前にフクイさんと、この戦争の激戦地だったヴェルダン周辺を回ったことがある。なだらかな丘にはいくつもの要塞後や塹壕跡が今も残っている。砲弾や簡易ベッドが残る暗い塹壕では「ここではドイツの猛攻でフランスの兵士○百人が、翌週にはフランスの奪還作戦でドイツ兵士○百人、そしてまたフランス兵○百人・・・が死にました」というような話をいっぱい聞いた。住民ごと跡形も無く消えた村というのもあった。フランスだけで死者40万人以上という悲惨な戦争です。
 “平和と国の安全のために” という大義名分で、人間、ほんとにバカなことを繰り返してきた。アベ政権のいう名目も行き着くところは変わらないよ。
 さて花火。戦争前のよき時代を表現してオッフェンバックの『ゲーテ・パリジェンヌ(パリの喜び)』でスタート、場面ごとにピアフやモーツアルトなどが流れ、夜空が真っ赤に染まった戦争場面はX Ray-Dog という今っぽいグループでした。
 前にいた女の子は、花火そっちのけで友だちとおしゃべりし続けていた。戦争を知らない子どもたち、ま、いいか。

戦闘のシーン。
やたら多くの命が失われた、のシーン。
 
最後はジャック・ブレルの『愛しかない時』と小鳥のさえずりでおしまい。

平和が戻って。
すぐそばで打ち上げられる花火はなかなかの迫力でした。火薬は花火で使いましょう。(宏)

2015年2月12日木曜日

世紀末の匂い、アール・ヌーヴォー。トークショーⅡ期3回目の報告。

駿河台、エスパス・ビブリオでの1月のトークショーも、無事に終わりました。わざわざ西宮や博多から駆けつけて下さった方もいて、ほんとにありがとう。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、産業や技術が急速に発展したヨーロッパ各地の、それもいくつかの都市で流行したアール・ヌーヴォー。このアール・ヌーヴォーという言葉は、1895年にパリに開店したビングの店 “Maison de l'Art Nouveau” から一般的になったという。
フランスのアール・ヌーヴォーは、もともと工芸が盛んだったロレーヌ地方のナンシーで、ガレやマジョレルなど多くの作家たちが、ガラス、家具、そして建築に突出した作品を生み出していた。
今回は 建築家エクトール・ギマールを中心に、パリに残るアール・ヌーヴォー建築を訪ね歩いた話。ギマールの建物はそのほとんどが、16区のオトゥイユ地区に集中しています。19世紀半ばにパリ市に編入されたオトゥイユは、この時代に発達した資本主義のもとで急速に儲けた銀行家や投資家などの新興高級住宅地になっていた。まぁ、今のヒルズ族やアブダビ、ドバイ族みたいなものでしょう。
まだ24歳のギマールが1891年に設計したロッツェ邸。
1894年のジャスデ邸。
ロッツェ邸は、ネオ・ゴシック風の建物。ジャスデ邸もわりに地味な家だけれど、石とレンガ、木などの異素材の組み合わせや、変化のある窓の配置などに、ギマールらしさが見られます。
1894〜95年、ギマールはブリュッセルでアンカールやオルタと会い、特に93年に建てられたオルタのタッセル邸に強い衝撃を受けます。そして完成したのが、パリ最初のアール・ヌーヴォー建築でギマール初期の名作、集合住宅カステル・ベランジェです。
石、レンガ、タイル、鋳鉄などを組み合わせた建物の外観は、思ったよりも落ち着いているけれど、近寄ってみると、窓の鉄柵も雨樋も、あらゆる部分が隠花植物と爬虫類みたいな不思議な造形で覆われている。横の路地に面した内庭の門柱にも、建物の側面にも、恐竜の足やタツノオトシゴのようなカタチが隠れています。
有名な門扉から薄暗い内部を覗いていたら、帰って来た住人のおねーさんが玄関ホールまで招き入れてくれた。扉のすぐ内側の床も天井もシダのような植物模様、灰緑色の壁はうねるような凹凸のある陶板で覆われている。バルコンにも使われている陶板は、この時代の売れっ子陶芸家アレクサンドル・ビゴの作。ホール奥の階段もグネグネ。内庭からの光がステンドグラスを通してほのかに差し込んでいます。
1898年、カステル・ベランジェ内庭側。
カステル・ベランジェ入り口扉。柱の根元にも注目。
この建物、パリ市が主催した1898年第一回建築ファサード・コンクールでグランプリになっている。しかし奇妙すぎだと世間の評判は悪く、”Castel Beranjer” ではなく、"Castel Déranger"(厄介な館)と呼ばれたという。
ギマールは玄関左の角部屋にあった彼自身のアトリエと住居だけでなく、すべて違う間取りの36戸の室内も家具も、すべてをデザインしていた。ここは今も現役のアパルトマンだから内部を見ることはできないけれど、家具の大半は取り払われているという。オルセー美術館にある"Banquette de fumoir"(喫煙用の長椅子)は、ここにあった家具の一部です。
喫煙者のための長椅子。オルセー美術館。
ギマールといえばメトロ出入り口。 パリのメトロの父といわれるビヤンヴニュに指名されたギマールは、A・地上に駅舎のあるもの、B・出入り口をガラス屋根で覆ったもの、C・看板を支柱で支え、階段を鉄柵で囲んだもの、の3パターンを基本に設計。それぞれの場所に応じたバリエーションを、部材をユニット化して建設。1900年から1912年までの間に、合計141のギマール駅が造られた。今遺されている86の駅のほとんどが簡便なCタイプで、再現されたものを含めてBタイプが3駅だけ。Aタイプはゼロです。
Cタイプの駅。文字のデザインもギマールです。
取り壊されたAタイプ、バスティーユ駅。
半透明のガラス屋根を持つ駅の中でも、3号線の西の終点ポルト・ドーフィーヌ駅は、階段周りをパネルで覆ったただひとつの駅です。凱旋門からブーローニュの森へ延びる広い緑道フォッシュ大通りの端っこにある。緑の中にやさしくきれいな姿で佇んでいます。
ポルト・ドーフィーヌ駅。1904年。
カステル・ベランジェとメトロで名を上げたギマールは、個人邸や集合住宅、音楽ホールなどを次々に設計。バニューの隣町ソーにある”シャレ・ブラン”という一軒家もそのひとつだけれど、数年前から空家になって放置されている。歴史的記念建築に指定されているけれど、手入れもたいへんだから買い手が付かないないんでしょうね。
ソーのシャレ・ブラン。1909年。
カステル・ベランジェのあるラ・フォンテーヌ通りに建つメッツァーラ邸は、女子学生寮として使われています。ヴァカンスで学生がいない時期に、ここでギマールに関する小さな展覧会が開かれていて、中に入って吹き抜けのホールの大きなガラス天井を見ることができた。ホール奥の食堂とサロンは中庭の外光が差し込み、思ったよりも明るい家でした。
メッツァーラ邸のガラス天井。1910年。
オトゥイユのモザール(モーツァルト)大通りのギマール邸は、彼がユダヤ系アメリカ人の画家アドリアーヌと結婚して建てた家。 扁平な三角地に建てられた家は、最上階を奥さんのアトリエ、あいだに居間、台所、寝室などの生活空間を挟んで、下にギマールのアトリエ、という奥さん重視。図面を見るとどの部屋も楕円形という不思議な設計で、ここもすべての家具を自分でデザインしている。居間の家具はプチパレに展示されています。
ギマール邸。1910年。現存するギマールの最高傑作。
カステル・ベランジェのすぐ近くの角に小さなカフェがある。このカフェのある建物を含む数棟の集合住宅もギマールの設計。ここのアパルトマンに住む建築家のアサミさん一家が食事に招んでくれました。通りの標示や雨樋などはまさしくギマールのアール・ヌーヴォーだけど、階段や室内は思ったよりもずっとシンプルで機能的だった。それでも仕切りのガラス扉の枠の曲線がそれらしく、いい雰囲気でした。
アントワーヌはこのカフェの先代のマダムの名です。
アガール通りの集合住宅(1911年)のサロン。
しかしこのころ既に時代の流れはアール・ヌーヴォーから離れていきます。
1911年にギマールは、マレ地区のユダヤ人街のシナゴーグを設計した後は、いくつかの集合住宅を造ってはいるけれど、目立ったものはない。マレの北部ブルターニュ通りに1919年完成の商店兼用集合住宅は、どこがギマール? というつまらない建物です。
1920年代のギマールは、ほとんど忘れ去られた存在となる。1930年に最後の建物が造られたけれど、1938年、ナチの侵攻を避け、奥さんの実家のあるNYに渡り、1942年に無名の人として死んだという。
ギマールが建築研究者に再評価されたのは、1960〜70年代。一般にも知られるようになったのは、その建物の多くが取り壊された後の1980年代のことです。

ギマール以外の、パリのアール・ヌーヴォー建築にも少し触れておきます。
東の郊外ノワジエルのショコラ・ムーニエ"Chocolat  Mounier"の工場は、パリのアール・ヌーヴォー建築の源流のひとつ。19世紀末から20世紀初めのパリでは、ラリックのアクセサリー、ガレやドームのガラス、ロートレックやミュシャのポスター、サマリテーヌ、プランタンなどの商業建築、そしてマキシムやジュリアンなどレストランやカフェの内装……と様々な分野でアール・ヌーヴォーが流行しました。
アルマ橋南のラップ大通りに建つジュール・ラヴィロット設計の集合住宅は、1901年のファサード・コンクール優勝作。華やかでやや退廃的な時代の雰囲気をよく伝える建物です。エロチックなカタチが入り口を囲み、建物の前面を備前焼ならぬビゴの陶板が埋め尽くしている。ここは陶芸家ビゴが自分の工房の作品を宣伝するために建てたもの。
ラップ大通りの集合住宅。ダリが絶賛したそう。
ラヴィロットの装飾的な建築は、建物全体の構造や機能性を一貫したデザインで総合的にとらえようとしたギマールと違って、表面だけを時流に乗って飾り立てたもの、という批判がある。これ、現代のR.RさんやK.Kさんたちにも似ている気がしますね。
現存するギマールの建物は、どれも使われていて内部を見ることができない。ナンシーでもブリュッセルでも、グラスゴー、ウイーン、バルセロナ、プラハ、リガでも、他の町の代表的なアール・ヌーヴォー建築は、どこも美術館などになって公開されているというのに、なぜギマールのパリは? です。
*パリにあるギマールの建物は、『改訂版 ガイドブックにないパリ案内』『パリ 建築と都市』に地図付きで紹介しています。パリ案内はamazonからKindle版も出ています。

自宅のアトリエに飾られていた写真です。
パリ市内にあるル・コルビュジエ作品、中でも彼が住んでいたアパルトマンのアトリエ住居の内部空間を中心に、ル・コルビュジエ建築の魅力と、批判も。それにオーギュスト・ペレ、マレ・ステヴァンスなどが展開した近代建築について話します。
まだ寒いけれど、金曜日のエスパス・ビブリオはワインバー。ワインをお目当てにどうぞ。(宏)

2015年1月12日月曜日

”Je suis Charlie”

パリの人口は220万人ほど。昨日のデモ参加者が推定150〜200万人。
"Nous sommes un peuple"12日のリベ。
 原発推進、秘密保護法、沖縄無視、国立競技場解体…‥の東京は?(宏)

2014年12月1日月曜日

建築のリサイクル。トークショーⅡ期1回目の報告。

駿河台のエスパス・ビブリオでこの秋冬4回のトークショー、1回目のテーマは「建築のリサイクル」でした。
18区の北はずれポルト・ド・クリニャンクールにこの夏開店したル・リシクルリー( Le REcyclerie) は、1934年に廃線されたパリ環状鉄道 “ラ・プチット・サンチュール” の廃駅を使ったレストラン・バー。ここは店名でもわかるように、19世紀後半の建物はもちろん、店内の内装や什器もすべて古いものに手を入れて再利用している。食材は有機栽培のグループが提供、壊れた家具や道具の修繕教室なども開かれ賑わっています。
その後店舗などに使われていた駅舎。ホームも客席に。
東京は短いサイクルで街の姿が変わっていて、パリから戻る度に戸惑うことが多い。これに比べパリでは、古い建物を改装して再利用するのがごくふつうに行われています。
その理由として、パリの都心部セーヌ河岸一帯が世界文化遺産になっていること、それ以外の地区でも古い建物の多くが歴史建造物に指定され、おいそれとは取り壊せないこと、そして石造りの建物が多く地震もないこと、などが考えられます。
でもそれ以上に、新しく巨大な建築が進歩・発展だという、スクラップ・&・ビルトの考え方がふつうの東京に対して、今の街でいい、壊すのはもったいないという考え方がパリの人たちにあるのだと思います。要するにケチなのだ。
美術展示場“ラ・メゾン・ルージュ”は、元製版工場跡。
ピカソ美術館やカルナヴァレ美術館をはじめ、王制時代の貴族の館の多くが改装されて、美術館に転用されているけれど、そんな豪華な建物だけでなく、19世紀の市場建築や工場、倉庫なども、文化施設や商業施設として再生されている例が多い。
マレ地区の中心街フラン・ブルジョワ通りにこの夏オープンしたユニクロの建物は、もと”Société des Cendres” の工場。ここでは、宝飾店で細工をした後に出た金銀などのカケラや粉末を回収、溶解する作業をしていた。店内中央のガラス屋根から、高さ30mのレンガの煙突が突き出し、地下には加工用の機械類がそのまま遺されている。
1859年の建物を改装したユニクロ。
 近年のリサイクル建築の大物は、13区のセーヌ河岸に広がる再開発地区“パリ・リヴ・ゴーシュ”に建つパリ第7大学の2棟の校舎です。
大学本部の建物は、1921年に建てられた製粉工場 ”レ・グラン・ムーラン・ド・パリ(Les Grands Moulins de Paris)" 。隣の棟は1950年の粉倉庫 ”ラ・アル・オ・ファリーヌ(La Halle aux Farines)" を改装したもの。
パリ弟7大学。
製粉工場の改装設計を担当したのは、今フランスで人気の建築家ルディ・リチオッティ、粉倉庫はニコラ・ミシュラン。文化省の改装やマルセイユの地中海美術館では、建物をスパゲッティか蜘蛛の巣みたいな金属の網で覆ったリチオッティだけど、幸いここでは元の外観をそのまま生かしています。
大学の南、外環道路近くのパリ=ヴァル・ド・セーヌ高等建築学校の校舎もユニーク。かつてパリ市内の全郵便局を結ぶ気送管に圧搾空気を送っていた SUDAC “la société urbaine d’air comprimé ” の工場を改装している。プヌ(puneu) と呼ばれたこのシステムは1984年まで使われていた。1910年の鉄骨とレンガの建物と、2006年の新校舎との間に、1890年の巨大なレンガの煙突がそびえています。 
高さ40mの煙突をはさんで向かい合う新旧の棟。
これも鉄骨とレンガの建物だけれど、マレ地区の南、シュリー橋の東にある4棟の公共集合住宅は、工場ではなく1883年に建てられた軍隊の兵舎を改修したもの。軍が使わなくなってしばらく放置されていたものです。
改装設計はイヴ・リオン。
16区オトゥイユ地区のはずれに、大小2つの競技場が並んでいる。小さい方のスタッド・ジャン・ブーアンは、1975年のスタンドを、ルチオッティがお得意の金属網を使って改築している。黒い編目で覆われた姿は、巨大なウニの殻のよう。
そして隣のパルク・デ・プランスもルチオッティの手で改修中。この PSG(パリ・サンジェルマン)の本拠地のサッカー競技場は、1972年にロジェ・テリベールが設計したもので、70年代コンクリート建築の代表作のひとつとして評価されていた。2016年のチャンピオンズ・リーグのメイン会場に決まって、全面建て替えが計画されたけれど、パリ市などの反対で保存改修することになった。
スタッド・ブーアン。右手にパルク・デ・プランス。
というわけで、リチオッティさんも網で覆うのはナシ。グランドの地面を掘り下げて観客席を増やすなどの工事が進められています。
競技場のことに触れたのは、神宮外苑の国立競技場改築計画があまりにもヘンだと思うからです。不透明な決定のプロセス、でたらめな予算計画、巨大すぎる規模による、景観と環境破壊。これらの疑問に対する住民や建築家、市民の声や対案に耳を傾けず、決まってるんだから造るんだという姿勢は、独裁国家ならともかく、まともな大人の国での出来事とは思えません。(宏)

サン・シュルピス教会前のマルシェ・ド・ノエル。
さて、次回は12月19日(金)。朝市や骨董市、ワイン市、そしてノエルの市など、パリの街頭で開かれる青空市について話します。

2014年3月13日木曜日

稲葉宏爾トークショーのお知らせ。

駿河台にある“ESPACE BIBLIO”は、庭に面した落ち着いた空間。アートやデザイン、写真など6000册の本を自由に閲覧できる図書室・カフェです。
いい陽気ならテラスにも出られます。
パリ関係の本も多くて(宏)と(由)の本もほぼそろっています。展示室では今齋藤芳弘の写真展「猿之助と18人の女たち」を開催中です。
亀治郎時代も含め、女形18態。3月29日まで。
「少女A」。こんなに演じ分けられる。びっくり。
このスペースで、4月19日(土)の15時と、24日(木)19時の2回、『パリ右眼左眼』と題した(宏)のトークショーというのをすることになりました。
19日はベルヴィルやビュット・オ・カイユなどのストリート・アート。24日は19世紀の屋根付きパサージュと、職人街だったバスティーユ裏の路地(パサージュ)をテーマに、写真を投影しながら気楽な話をするつもりです。
ビュット・オ・カイユ。
ギャルリ・ヴェロ・ドダ。
生意気にも有料で要予約ということで申しわけないのですが、空席だらけはカッコワルイので、どうぞ上の線をクリックしてご予約の上、ぜひ来て下さい。(宏)

原発いらない。3月9日の集会とデモ。

9日の午後、(由)と(宏)は、「0309 NO NUKES DAY 原発ゼロ 統一行動」の日比谷野音から国会へのデモに行ってきました。いろんな団体の旗の中に「誰デモ入れる市民の列」というのぼりを見つけて入れてもらう。
気温は低かったけれどきれいな青空。20数年ぶりに歩いた官庁街は、どの建物もツルピカにそびえていて、ニッポンは豊かだなー。
議事堂前。デモの人は車道には決して出られない。
でも原発事故から3年、福島の後始末はまったく進まず、被災した人たちの状況もちっとも改善されていないのに、再稼働推進だなんて、ニッポンの政治は貧しいなー。 
「はい、間もなく信号が変わります。しばらくお待ち下さい」というおまわりさんに誘導されて、歩道を進む人たち。もちろん若い人や子ども連れの人もいたけれど、多かったのは同年配のジジイとババアさんの姿。

ほんとに原発はいらない。
 国民の大多数が原発ゼロがいいというのに、選挙ではなぜか原発推進の与党が勝つという、ふしぎな論理構造のニッポン人…‥。

経済産業省前のテントです。
 といってあきらめるわけにはいかない。このままだとアベコベ政権は原発を世界中に売り、よその国に出かけて行って戦争もするという〈誇りあるふつうの国〉へと突き進んじゃうよ。(宏)

2013年11月13日水曜日

フランスのおいしい食材ノート。

11月13日に河出書房新社から、(由)が書いた本が出ました。書名は『フランスのおいしい食材ノート』。「パリ郊外アントニーの市場から」というサブタイトルが付いています。
バニューの今の家に引っ越す前、子どもたちがまだ小さかったころに住んでいたのが、同じ沿線のアントニーの町だった。じつはこの本、まだアントニーにいた、1999年に河出から出版された『フランスおいしいもの事典』の新装改題復刊版なのです。
『パリっ子の食卓』同様(宏)の装丁です。
この 5月に新装復刊したマコトさんの『パリっ子の食卓』が好評なので、同じように眠っていたこの本も、ということになった。ま、2匹目のドジョウ本‥‥。食材のイラストはマコトさんです。
裏表紙の帯に、「フランスの家庭料理の食材244種を、日常の経験にもとづいたエッセイ形式でわかりやすく紹介。楽しく読みながら、食材の知識、その調理法までわかります。」と。うん、ウソじゃありません。『フランスおいしいもの事典』を持っていない人は、本屋さんでぜひドウジョ手に取ってみて下さいね。(宏)
 

2013年10月30日水曜日

激怒ツアー。

先日、わが家の門前に迫力の日本語が書かれた車がやってきました。
ふつうのフランス人にはわからないよね。
きれいな書体で書かれた文字は「激怒ツアー」。この車、ナオ・フミの荷物を運ぶためにフミオが頼んだ友人のジェイくんの大型バンなのです。
ジェイはこの車で、おもに日本のミュージシャンのコンサートツアーのために働いている。人や機材の輸送だけでなく、ジェイは音響や照明,会場設営もこなすという頼りになる男なのです。この日は助っ人にジュリアンくんも一緒だった。彼はロック・ミュージシャン。靴のサイズが32cm もあるベーシストです。
本日の激怒コンビ。左がジュリアン、右がジェイ。
二人とも朗らかで力持ち。ヒョロヒョロ非力なわが息子とは大違い。持つべきものはいい友だちだよね。
それにしても、ジェイはいったい何に対して激怒してるのかなぁ。(宏)

2013年10月13日日曜日

ナオ+フミが蚤の市に出店した。

先週の土曜日の朝、フミオから「いきなりだけどフォントネー・オ・ローズのブロカントに店を出すから、いらないものあったら持って来て」という電話があった。前日に問い合わせたら、まだ少し空きがあるから早朝に市役所に来いとといわれ、一番電車で駆けつけて場所を確保したらしい。(由)と(宏)も、使わなくなったバッグ類や食器、額縁などをカートにくくりつけて行ってみました。
商店街や広場から住宅街の路地まで、骨董や古物商のスタンドも含めおよそ1000近いスタンドが出ている。
家庭で使わなくなったものを並べるスタンドが大半です。
毎年恒例のこの蚤の市は、歩いて行けるし、案外掘り出し物もあるので、いつも客としておなじみだった。でも今回は売る側です。
急遽出店のナオコさんとフミオの店は、 地べたにシートのスタンド? です。
ほらナオ、お客だよ! すぐ後ろは中華屋だった。
朝のうちは眺めるだけの人ばかりでちっとも売れなかったけど・・・
フミオって話すのうまいなぁ。また売っちゃったよ。
フミオが持って来たゲームやDVDから売れ始め、午後になったらナオコさんの服や靴もウチのバッグもどんどん売れだした。
いいよこれ、買おうよ。店は半分に縮小です。
最後は持ち帰りたくない物を「ここの品どれも1ユーロ」の札を出して、どうやらほぼ完売に近い成績。ウチのヤカンやポットもです。ナオフミ店は売り上げ目標をみごとクリアして5時過ぎに早めの閉店。
途中で何か無いかなと思って回ってみたけれど、 売る側になるとフシギなものでいつものようにはモノが見えてこない。
でもけっこう愉しめました。 フミオはやたらに眠そうだったけど。(宏)