2014年11月8日土曜日

幻の川ビエーヴル。その4・再生された流れ。

アントニーのエレール公園から、暗渠の上に作られた道を行くと、ほどなくRER・B線の走る土手にぶつかります。ビエーヴルがくぐっていたアーチ型のトンネルが線路の向こう側に抜けています。
今は歩行者専用のガード。(ナオ撮影)
ここは洗濯場だった。昔の絵はがきです。
アントニーからジャンティイへ、地下のビエーヴルを追ってB線の東側を北上する。ここからはほとんど同行者ナシのひとり歩き。ただこの区間、暗渠化された後の都市開発で、大半は川の痕跡もなく、歩いてもつまらなかった区間は省略します。
A86の北、フレンヌ刑務所を見上げる辺りのプレ・ド・ラ・ビエーヴル公園からライ・レ・ローズのビエーヴル庭園にかけてのバス通り(D127)沿いに、本格的に再現されたビエーヴル川が見られます。
ビエーヴル流域で進められている“ラ・ビエーヴル・ルネサンス計画” の最初の成果で、広い道路巾を縮小して造られた緑地帯の地下深くに、巨大な下水道を通し、その上にきれいな水を流すという二重構造。増水したら下水道に水を逃がす仕組み。この、下水ときれいな川の水の分離が、ビエーヴル再生のキホンなのです。川の流路と畔の植生は自然に任せていて、若木や葦などが伸び始めています。
水辺は植生保護のため立ち入り禁止です。
この再生ビエーヴルは、渋谷川など東京の水辺復活計画でも参考にしているという。バニューのわが家の近くにある湧水の出る小さな公園も、再生計画の一環で造られていて、湧水を再生川に流しているらしい。
さて、1900年のカシャンの町には、120軒もの洗濯屋があったという。町の中心を南北に走る大通りの裏手、新しい公共集合住宅の並ぶ中にも、再現された流路が見られます。ただここは素材の洗濯、いや選択が悪い。模造敷石とコンクリートの川で、周りの植物もいかにも植木という感じなのです。
カシャンの再生ビエーヴル。団地によくあるやり方だね。
 カシャンとアルクイユの境に、17世紀初頭に造られたヴァンヌの水道橋がそびえている。リュクサンブール庭園に水を引くために造られたもので、今もモンスリ貯水場へ水を運ぶ現役です。ビエーヴルはこのアーチの下を流れていました。
上層は19世紀に増設されている。
サティが住んだ建物と水道橋。(ホソキさん撮影)
水道橋の北側に、作曲家エリック・サティが暮らした質素なアパルトマンがある。サティはヴァヴァン交差点辺りまで歩いて通っていた。
ここからジャンティにかけても、流れの跡は見つけにくい。その後の開発で、街の姿がすっかり変わっているからです。
ジャンティイの北端、ラスパイユ通り裏の、フタされた流路の場所に水の無い川が造られている。ジャンティ在住のホソキさんによると、これは今進められている水辺の復活ではなく、この辺を再開発したときに“記憶の川”として造られたものだろう、とのこと。
水の無い川。
 ビエーブルの畔に建っていたサン・サチュルナン教会裏から、外側環状道路のガードをくぐるとパリです。(宏) 

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