ブランキ大通りを渡った2筋の流れは、メトロの高架に面した『ル・モンド』の社屋の両脇から、ルネ・ル・ギャル公園へと向かっていた。
“Le Monde” 社屋。 |
ルネ・ル・ギャル公園の南西入り口前の歩道に、1840年までここにあったという〈クルールバルブ水車跡〉の表示板が埋め込まれている。
水車は13世紀始めに設置されたそう。 |
周囲の道路から数メートル下がった低地にあるこの公園は、2筋の川の中州だったところに造られている。
1938年完成の公園。 |
片方の川が流れていたクルールバルブ通りのバスク料理店「エチェゴリ」の壁に、“Cabaret de Madame Grégoire” の文字が残されている。昔ここは川畔の人気キャバレーで、ベランジェやヴィクトル・ユゴーが常連だった。店内に当時のようすを描いた古い絵がかかっています。
“マダム・グレゴワール”のキャバレー。 |
かつての川筋だったこの通りがベルビエ・デュ・メッツ通りに名が変わった右手に、ゴブラン織製作所の建物がある。ゴブラン織は、15世紀にジャン・ゴブランが、石灰分の少ないビエーヴルの畔に開いた染色工場で創られ、17世紀に王立工場になって、王宮などのための織物を生産していた。ゴブラン大通りに正面がある「ギャルリ・デ・ゴブラン」には、ゴブラン織と、モビリエ・ナショナル所蔵の家具類が展示されている。工房見学もあって、昔のままの気の遠くなるような時間をかけて織る工程を見ることができます。
クルールバルブ通りとゴブランの17世紀の建物。 |
ゴブラン織工房北側の通りに、“白い王妃の城”という15世紀初頭の館がある。ゴブラン家も住んだというこの館の向かいに、真っ白な外観のモダンな建物ができていた。公立のクレッシュ(託児所)などがある“幼児の家”。“子どものための白い城”です。
ベルビエ・デュ・メッツ通りに戻り、大きな壁画の脇を北へ。
託児所。外壁の小さな三角穴がかわいい。設計はRH+。 |
SETH作の壁画。右を抜けるとすぐアラゴ大通り。 |
アラゴ、ポール・ロワイヤル、2つの大通りを渡って5区に入った川は、低い位置を走るパスカル通り付近を抜け、ムフタール通りの下に出ていた。
19世紀末、『家なき子』の時代、このあたりの流域は、すでに汚染がかなり進んでいた。アジェやマルヴィルの写真で、このころのビエーヴルのようすがわかります。
パスカル通り。 |
皮革業者が並ぶビエーヴル。マルヴィルによる当時の写真。 |
ムフタールのふもと、ゴブラン大通りがモンジュ通りにぶつかる辺りで1筋になった流れは、サンシエ通りの南側を行く。サンシエの大学構内も流路だった。
サンシエ通り。川は右の低い道の裏手を流れていた。 |
植物園南脇、ビュフォン通りに並ぶ自然史博物館別館の裏手の、今は袋小路のニコラ・ウエル通りを流れていたビエーヴルは、オピタル大通りに出ます。
ビエーヴルが流れていた自然史博物館別館裏の袋小路。 |
川はオステルリッツ駅構内を横切って、セーヌに流れ込んでいました。
メトロ5号線の高架橋の辺りに流入口があったらしいけれど、今は跡形もない。
メトロ高架橋の向こう側に流入口があったという。 |
河岸に並ぶ船の中に、ル・コルビュジエが救世軍のために設計した船があって、歴史記念物として改装中です。
それはともかく、ここが幻の川ビエーヴルの終点です。
◉生きた川、死んだ川。
2筋の流路のうち、西(左)が概ね自然の流れで、東側(右)は水の利用のために造られた流路という。人工の流路は遅くても12世紀には使われていたらしい。自然の流れを死んだ川筋 “bras mort”、後者を生きている川筋“bras vif”という。
2筋の流路のうち、西(左)が概ね自然の流れで、東側(右)は水の利用のために造られた流路という。人工の流路は遅くても12世紀には使われていたらしい。自然の流れを死んだ川筋 “bras mort”、後者を生きている川筋“bras vif”という。
川筋のおもな地点の歩道に埋め込まれた円盤にも、この文字が刻まれている。ニコラ・ウデル通りがオピタル大通りに出た地点では、“bras unique” になっています。
ゴブラン大通りの生きている川筋の標識。死んでるけどね。 |
オピタル大通りの、ひとつになっている川筋の標識。 |
◉ビエーヴル通りとヴィクトリアン運河。
サン・ジェルマン大通りのモベール広場近くからセーヌ河岸へ抜けるビエーヴル通り。故ミッテラン大統領が住んでいた通りである。この通りの名は、11世紀に、2つの修道院が、ビエーヴルの水を敷地内に引くために造ったヴィクトリアン運河の名残り。我田引水です。水路は17世紀末に埋められている。
サン・ジェルマン大通りのモベール広場近くからセーヌ河岸へ抜けるビエーヴル通り。故ミッテラン大統領が住んでいた通りである。この通りの名は、11世紀に、2つの修道院が、ビエーヴルの水を敷地内に引くために造ったヴィクトリアン運河の名残り。我田引水です。水路は17世紀末に埋められている。
ビエーヴル通り。左手がミッテランの住んだ家。 |
・・・これで、6回に分けてのビエーヴル散策記終了。流域の各所で「ビエーヴル・ルネサンス計画」が進行中です。何年か後、もっと多くの場所で、水辺のある風景が見られるようになっているといいなぁ、と。(宏)
ビエーヴル川に沿っての旅、やってみたいです。
返信削除少し郊外に出るだけでも、本当にきれいな景色がひろがるのですね。
それに、ビュットオカイユ、グラシエール、ゴブランあたり、とても雰囲気がいいですね。大好きです。
ルネ・ル・ガル公園、私の秘密のお休みどころとなっています。
ところで、トークショー、楽しみにしております。