2014年11月9日日曜日

幻の川ビエーヴル。その5・パリ13区、グラシエール。

パリのビエーヴルの出発点は、外環道路のすぐ内側ケレルマン公園。池にカエルや小魚が泳ぐ公園を出て、ポテルヌ・デ・プープリエ通りから流れの跡をたどります。
ケレルマン公園。
 ビエーヴルは、トラムが走る内側の環状道路をくぐり、そのままプープリエ通りを北へと流れていた。
向こうはかつてのプチット・サンチュールのガード。
しかし、この道は上り坂なのです。市内の流れをたどると、地形に逆らっている? というところが他にもある。 
いちばんの理由は、長い歴史の中で地形が人工的に変えられてきたこと。そして、ビエーヴルの流路も変えられてきた。無数にあった水車が、低い水位の水を高い位置に移していたからです。
ラベ・エネック広場の周囲には、1920年代末から30年代に建てられた一軒家が集まっています。先に引用した『家なき子』の一節は、おそらくこの辺りのこと。その引用部分のすぐ前には、
「このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で(略)いちばんきたない陰気な所だと(略)信じられもしていた。(略)ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、…‥」とある。
ラベ・エネック広場。20年代末の一軒家。
トルビアック通り付近でビュット・オ・カイユの高台にぶつかって、大きくターンした川筋は、ランジス広場へ。やはり’20年代の一軒家が並ぶシテ・フロラルも近く、のどかな空気の場所だけれど、南側の旧国鉄用地の再開発で、ここも大きく変わろうとしている。
再開発地区の広場側に、短いけれど新しいビエーヴルが造られています。
ビエーヴル復活計画では、街路の内側に隠れている元の流路とは多少ズレても、可能な場所に、水路を造ろうとしているのです。
1928年に開発されたシテ・フロラル。
ランジス広場南の短い再生ビエーヴル。

この辺りの道路は、昔のビエーヴルの流路と一致しているところが多い。ランジス広場で再び向きを変えた2筋の川に挟まれていた地域は、グラシエールと呼ばれていた。石を掘り出した跡の地下道に、冬に張った氷を保存し、それを夏に売っていた時代の名残です。
曲線の流路跡に造られたブリア・サヴァラン通り。
ヴルツ通りも川筋跡の通りです。
ヴェルニョー通り沿いを北上した川は、メトロ6号線の高架があるブランキ大通りを渡リます。(宏)

2 件のコメント:

  1. 校正の調べ物でパリの街のことを検索していたら辿り着きました! 
    本当に本当にご無沙汰しておりますm(_ _)m覚えていらっしゃらないかもですが…由紀子さんとルーブルの本の仕事をご一緒させていただいたミキです。あれから30年。すっかり立派なオバサンに成長しました。
    2月のESPACE BIBLIOに申し込みました。楽しみにしております。

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    1. よくまぁたどり着いてくれました!ESPACE BIBLIOでお待ちしていまーす。

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