2014年11月1日土曜日

幻の川ビエーヴル。その1・水源の池、森と泉に囲まれて。

ヴェルサイユの森の南、ギュイヤンクールを水源とするビエーヴル川は、南の郊外からパリの13区と5区を流れ、オステルリッツ河岸でセーヌに注いでいた小さな川です。
でも現在のパリにこの川は存在しない。17世紀末からパリと近郊のビエーヴル岸には、この水を利用する染め物や皮革加工などの作業場が集まり、19世紀末にはひどい環境の工場街になっていた。川は極端に汚染され悪臭を放つドブ川になり、“臭いものに蓋”で次第に暗渠化。下流の近郊とパリの川は、1950年までに地中に消えてしまったのです。今、この流れを再生しようという「ビエーヴル川ルネサンス計画」が、少しづつ進められています。この夏、水源からの美しい自然の流れに沿い、そして埋められた流路を探して、全流域を歩いてみました。
このブログ記事は、9月15日発行の “ovni” に書いた探訪記に、紙面に載せられなかった話と写真を加えたものです。
 
RER・C線の終点ヴェルサイユ・シャンティエのひとつ手前プチ・ジュイ=レ・ロジュで降りる。まるで山の中の駅のよう。フランスで映画化された、谷口ジローさんの『遥かな町へ』のシーンを思い出す。板張りのホームから下りて少し行くと、小さな橋があって、木立の中を小川が流れている。ビエーヴル川です。
小川のそばに“自然保護地区ビエーヴル渓谷”の看板。
この日は(由)と、まずはここから水源まで遡ります。小川沿いの遊歩道から車道に出ると、ヴェルサイユ宮殿へ飲料水を送るために造られたビュックの水道橋をくぐる。
宰相コルベールによって17世紀に造られた水道橋。
村の広場で早めの昼ごごはん。小さな朝市が出ていた。
ビュックの村から、小川に沿った遊歩道を行きます。大空の下、澄んだ流れに鴨やシギが遊び、牧場の馬がのんびり草を食んでいる……。
小魚が泳ぎ鴨はのんびり。
エクトル・マロ作の『家なき子』に、ビエーヴル川が出てきます。
「やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場が(略)小山のほうまでだんだん上りに続いていた。(略)うずらや、こまどりや、ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。」という一節がある。
馬ものんびり。
人ものんびり。
まさにこの文のままの風景。でもじつはこれ、現在のパリ市内の描写なのです。『家なき子』が出版された1887年頃、汚染はまだ5区のごく限られた流域だったらしい。

さて、のどかな草原から森の道に入るとほどなく、ジェネストの池の畔に出る。静かな水面に釣り人が竿を伸ばしています。
etang de Geneste(ジェネスト池)
 さらに深い森を抜けるとギュイヤンクールの村。森の中に “狐の水車池”、“黒の池”、“金の谷池”といったいくつかの池が連続していて、これらはまとめて “ミニエールの池(群)”と呼ばれています。
Etang de Val d'or(金の谷池)です。
étang du Moulin de Renard(狐の水車池)です。
もとは17世紀に、森のあちこちから湧き出る水を集めて、コルベールによって造られた人工池だけれど、今は自然保護区指定の、緑と水の別天地。このミニエールの池一帯がビエーヴルの水源なのです。(宏)…‥続く。
古いイラスト入りのラルースの図版。
●ビーバー
bièvre はラテン語が語源でビーバーのこと。フランス語では castor(カストール)だけれど、この川にビーバーが棲息していたことからローマ人がそう呼んだらしい。1960年に、アメリカから連れてきたビーバーを放ったことがあったけれど、失敗に終わったという。

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