2013年11月13日水曜日

フランスのおいしい食材ノート。

11月13日に河出書房新社から、(由)が書いた本が出ました。書名は『フランスのおいしい食材ノート』。「パリ郊外アントニーの市場から」というサブタイトルが付いています。
バニューの今の家に引っ越す前、子どもたちがまだ小さかったころに住んでいたのが、同じ沿線のアントニーの町だった。じつはこの本、まだアントニーにいた、1999年に河出から出版された『フランスおいしいもの事典』の新装改題復刊版なのです。
『パリっ子の食卓』同様(宏)の装丁です。
この 5月に新装復刊したマコトさんの『パリっ子の食卓』が好評なので、同じように眠っていたこの本も、ということになった。ま、2匹目のドジョウ本‥‥。食材のイラストはマコトさんです。
裏表紙の帯に、「フランスの家庭料理の食材244種を、日常の経験にもとづいたエッセイ形式でわかりやすく紹介。楽しく読みながら、食材の知識、その調理法までわかります。」と。うん、ウソじゃありません。『フランスおいしいもの事典』を持っていない人は、本屋さんでぜひドウジョ手に取ってみて下さいね。(宏)
 

2013年10月30日水曜日

激怒ツアー。

先日、わが家の門前に迫力の日本語が書かれた車がやってきました。
ふつうのフランス人にはわからないよね。
きれいな書体で書かれた文字は「激怒ツアー」。この車、ナオ・フミの荷物を運ぶためにフミオが頼んだ友人のジェイくんの大型バンなのです。
ジェイはこの車で、おもに日本のミュージシャンのコンサートツアーのために働いている。人や機材の輸送だけでなく、ジェイは音響や照明,会場設営もこなすという頼りになる男なのです。この日は助っ人にジュリアンくんも一緒だった。彼はロック・ミュージシャン。靴のサイズが32cm もあるベーシストです。
本日の激怒コンビ。左がジュリアン、右がジェイ。
二人とも朗らかで力持ち。ヒョロヒョロ非力なわが息子とは大違い。持つべきものはいい友だちだよね。
それにしても、ジェイはいったい何に対して激怒してるのかなぁ。(宏)

2013年10月13日日曜日

ナオ+フミが蚤の市に出店した。

先週の土曜日の朝、フミオから「いきなりだけどフォントネー・オ・ローズのブロカントに店を出すから、いらないものあったら持って来て」という電話があった。前日に問い合わせたら、まだ少し空きがあるから早朝に市役所に来いとといわれ、一番電車で駆けつけて場所を確保したらしい。(由)と(宏)も、使わなくなったバッグ類や食器、額縁などをカートにくくりつけて行ってみました。
商店街や広場から住宅街の路地まで、骨董や古物商のスタンドも含めおよそ1000近いスタンドが出ている。
家庭で使わなくなったものを並べるスタンドが大半です。
毎年恒例のこの蚤の市は、歩いて行けるし、案外掘り出し物もあるので、いつも客としておなじみだった。でも今回は売る側です。
急遽出店のナオコさんとフミオの店は、 地べたにシートのスタンド? です。
ほらナオ、お客だよ! すぐ後ろは中華屋だった。
朝のうちは眺めるだけの人ばかりでちっとも売れなかったけど・・・
フミオって話すのうまいなぁ。また売っちゃったよ。
フミオが持って来たゲームやDVDから売れ始め、午後になったらナオコさんの服や靴もウチのバッグもどんどん売れだした。
いいよこれ、買おうよ。店は半分に縮小です。
最後は持ち帰りたくない物を「ここの品どれも1ユーロ」の札を出して、どうやらほぼ完売に近い成績。ウチのヤカンやポットもです。ナオフミ店は売り上げ目標をみごとクリアして5時過ぎに早めの閉店。
途中で何か無いかなと思って回ってみたけれど、 売る側になるとフシギなものでいつものようにはモノが見えてこない。
でもけっこう愉しめました。 フミオはやたらに眠そうだったけど。(宏)


2013年9月15日日曜日

夏休みの旅行。

長ーいあいだブログをお休みしてしまいました。
8月後半から(宏)と(由)は、続けて旅行に行っていたのです。まずは毎年恒例のフランス南西部ロット県の田舎に1週間。そして4日あいだを置いて、バルト3国の10日間家族旅行に。たくさんオモシロイものを見て写真も撮ったけど、(宏)はヘタレ写真でもどんどん公開する、というブログの原則を受け付けないので、「まだ整理ができてない」と抱え込んでいて。だからとりあえず帰還のご報告です。
さて、この写真は何かというと、
ただのおかゆに梅干し、としか見えないが…。
 リトアニアの朝市で買った燻製サケを使って、帰宅翌日に作った牛乳雑炊。バルト3国は食に期待ができない? と思っていたら、これがどうしてなかなかだった。どこの国も朝市とか青空市が充実していて、新鮮な野菜や燻製の魚、肉がたくさん。ラトヴィアなんか、駅裏に元ツェッペリンの格納庫だったという巨大な倉庫が5棟もあり、そこがすべて食材の市場! こんなのはたぶん香港以来見たことがない。フランスもタイも負けそう。特に干し魚が豊かで、みんなバケツに逆さに突っ込んで売っているのだ(写真が欲しい…)。最終日にビリニュスの市で、とりあえずサケの燻製を買ったらなんと1本1ユーロ弱。得した気分で開いてみたら、なんとそれはサケのアラだった。うずたかく積まれていたサケは、じつはみなスモークサーモンの身をおろした後の骨だったのです。
でもそれを牛乳でポシェし、骨を取り除いて残りご飯を入れて煮込んだら、とびきりおいしい牛乳雑炊ができた! あの国々の庶民は、じつに合理的でおいしい食生活をしているぞ。(由)

2013年8月18日日曜日

BBQ。

ホソキさんから、久しぶりにセンゴクさんがパリに来たのでウチでBBQを、という誘いを受けました。このシーズン、わが家にも近所の庭から肉やソーセージを焼く匂いがしょっちゅう流れてくる。
ホソキ家のBBQ=バーベキューは、アトリエと母屋の間のホソキ中庭にセットされたBBQセットに炭火をおこして、ホソキさんが焼くのです。
シェフとアキコ・スーシェフ。BBQセットはアメリカ製。
冷たいロゼで始まり、ナスやクルジェット、ピーマン、ジャガイモ、そして朝市で仕入れたいろんな肉や魚を、ホソキシェフが手際よく次々と焼いてくれる。
華麗に焼き上がったカレイ。
そして肉。
メインゲストのセンゴクさん,ヒデさん、愛猫スイスの病気が一段落でほっとしたアキさん、それに(由)と(宏)は、ひたすら食べて飲むばかり。
いよいよ大木の梢部分も。でも完成にはまだまだかかる。
オナカいっぱいになって上ったアトリエには、部分ごとに描き続けている大きな木の新作が何点も出来ていた。そう、BBQシェフはアーティストだった。
(宏)はアトリエから下りるとき、階段を踏み外して床に転落しちゃった。ボクバタンキュー(BBQ)です。お騒がせしました。(宏)

2013年8月12日月曜日

8月のパリ。

みんなヴァカンスに出てしまう8月のパリは、道路もメトロも空いていて外国からの観光客の姿ばかりが目立ちます。 
セーヌの遊覧船は満員。

河畔のパリ・プラージュには、ヴァカンスに出ない人たち。

ふだんは学生街のサン・ミシェルも今は外国人ばかり。
ついでにバゲット買ってきて、と(由)に 言われたので、ダンフェールで途中下車したけれど、駅の近くの最初のパン屋は夏休み、ダゲール通りの2軒めも夏休み、3軒めもやっぱり夏休み‥‥。

では皆さん、ヴァカンスあけ21日に‥‥。だって。

八百屋も肉屋もチーズ屋もワイン屋も魚屋も。
ふだんなら買物の人で賑わう通りが閑散としている。でもバゲットを抱えた人が向こうからやってきた。で、4軒めのパン屋でようやくバゲットをゲットできました。(宏)

2013年8月5日月曜日

魯山人展のこと。

ギメ東洋美術館で開かれている『魯山人の芸術』展(9月6日まで)を観ました。北大路魯山人は陶芸や書画、篆刻などもこなした料理人。流派や型にとらわれない独自の世界を築いた人だった。
懐石料理の影響か、ドレッサージュと称してちまちま飾り立てる盛りつけが今のフランス料理の流行りだけれど、魯山人の豪快なドンとでかい大皿はこれを吹き飛ばすよう。でもあまりにもデカくて派手だから、使いたいとは思えない。作品というよりむしろ商品として作った茶碗や徳利は、もらえたらうれしいかも。
紅葉や鳥はリアルで繊細な絵。
とっくりもかわいい。
良寛の詩『十字街頭』を書いた屏風が、なかなかかっこいい。
でも、書家の森田子龍はこの書を酷評している。
魯山人は多芸多才だったけれど、かなりわがままで傲岸、独りよがりな人物だったらしい。話はずれるけれど、この展覧会のオープニング・セレモニーで聴いた文化庁長官という人のあいさつも、何とも独りよがりでコマッタ代物でした。
春に訪日したオランド大統領に話したことと前置きして、宇宙人に「地球で文化と科学に優れている国はそれぞれどこか」と訊かれた。私はすぐこう答えた。「その両方に優れた国が地球上に2つだけある。日本とフランスだ」‥‥、とさも得意げに披露したのです。
ユーモアもオチもなんも無い。これが日本の文化庁のトップの公式挨拶。あのね長官、ここはインド、カンボジア、タイ、中国,韓国‥‥と、アジア全体の美術館なんですよ。そこで、優れた国は2つだけって。そばのフランス人夫婦がオーララと頭を振ってた。(宏)と(由)は居たたまれなかったです,ホント。
どうやら長官が青柳正規さんに変わったらしい。やれやれよかった。(宏) 

2013年8月3日土曜日

終戦直後の実験プレファブ住宅街。

ノワジー・ル・セックのレトロ食堂でのゆるくおいしい昼食を終え、続いてマコトくんとアキさんの案内で2人の家の近くにある "La Cité Expérimentale de Merlin" という緑につつまれた住宅街を歩きました。
SNCF(フランス国鉄)の拠点だったノワジー・ル・セックは、第2次大戦中にドイツ軍の物資供給基地に使われていたため、1945年の連合軍による爆撃で街の大半が破壊されてしまった。戦後すぐに計画され、焼け野原だった6.5haの敷地に建設されたのが、この復興モデル住宅地なのです。
 「新しい建材で従来の建物に劣らない質の家を、少ない材料と省エネの建設で」というモットーで建てられたいろんな形のプレファブ住宅が並んでいます。
ということで歩き始めたら、庭仕事をしていたおじさんに声をかけられた。  
ここで生まれ育ったというおじさんです。
父親はSNCFの機関士だったというおじさん。爆撃したのはカナダ軍だったけど、この家はカナダ製なんだという。この人、ヒロシマ、ナガサキの死者よりも東京大空襲の死者が多かったなんて思い違いもあったけど、日本の歴史にやたら詳しかった。
講義が一段落したところで、さて見学再開です。フランスだけでなく、プレファブ建築の先進国だったアメリカやイギリスをはじめ、各国の業者が競って建てた家がある。
CITY LUMBER 木造。1947年。
ARMOR これも木造。1947年。
上の2軒はアメリカ製。もう取り壊されてしまった "UK100" というタイプは、フランス中の復興住宅に採用されたらしい。こういうの、練馬の実家の近くにあった米軍住宅地グランドハイツに並んでいたなぁ。今は光が丘団地になってるけど。
FINN HUS 1948年。
PUTALO 1948年。
この2棟はフィンランド製。もちろん木製。下のプータロー(いい名前だよね)というメーカー は、日本にもあります。
OMNIS 木造。建築年不詳。 
SHINDRAR コンクリート+レンガ。1946年。
上はスウェーデン、下はスイス製。なーるほど。
で、 以下はフランス製。木造が多い各国の家に比べて、フランスものは鉄骨やコンクリート製が中心。石綿を使ったものもあったけどもちろん今は残っていません。
SOTEBA  鉄骨コンクリートで陸屋根の家。1946年。
JEEP なんとも戦後っぽいネーミング。1946年。
GUTTON 伝統建築っぽい石造り。1946年。
当初の計画では150棟の予定だったけれど出来たのは56棟。そのうち26棟が外国製です。1980年にすべて払い下げられた後に建替えられた家もあって、今残っているオリジナルは 44棟。取り壊された中には、ジャン・プルーヴェ設計の家もあった。
 2000年に国の歴史記念建造物に指定されたので、もう壊されることはない。修復工事中の家が多いのはそのせいでしょう。(宏)



2013年7月28日日曜日

ノワジー・ル・セックのおっさん食堂。

偉そうなシェフのいるカッコつけたビストロより、ジャン・ギャバンみたいなおっさんがやっている食堂が好き! という(由)の趣味を知って(?)、アキさんとマコトくんが、彼らの家の近くで見つけたというレトロなレストランで昼食会を計画してくれました。
RER E線のノワジー・ル・セック駅から歩くこと10数分。一軒家の並ぶのどかな住宅地のまん中にとつぜん出現したその店は、うわー、好きだなーこの感じ。
看板がカワイイ! ルイゼットとジョエルの店だぞ。
入り口脇の看板にはメニューが。読めますか?
前菜、メイン、チーズ、デザート、ワインにコーヒーまで付いて12ユーロぽっきり! って最近、田舎でもこの値段はないよ。「すごいご馳走じゃあないですよ」と牽制するアキさん。ワインの1リットル瓶がドン! とまん中に置かれる。
前菜はトマトとジャガイモと卵のサラダ。それに鶏レバーのムース。
メインのローストビーフ。これで5人分。食べきれない…。
付け合わせは緑インゲンのサラダと白インゲン豆のサラダ。
みんな無口になってせっせと食べました。珍しい内容ではないけれど、どれもいい加減なところのない誠実な味。毎日食べても飽きない、家庭の味。赤ワインがあっという間に空になって追加を注文したら、たったの2ユーロだった(1人が、ではなく5人分で)。
ルイゼットおばさん手作りのアンズのタルト。
デザートを出したら,ルイゼットさんは奥に入って休憩。
店主のジョエルさんは、ジャン・ギャバンでも無口でもなかったけれど、陽気でよく笑うカワイイおっさんだった。近所の人がビールを飲みに来ていたけど、食堂のお客はけっきょく我々だけ。ちゃんと成り立つのかなー、この店。成り立って欲しいなー。(由)
Tシャツ、半ズボンのおっさん。ご馳走さまでした。

2013年7月27日土曜日

夏の庭の元気な奴ら。

フランスは涼しくていいわね、と日本の人に言われるけれど、暑くなった時は地獄ですよ! なにしろ冷房がないんだから。で,ひたすら地下室にこもっているしかない。
ところが(宏)ときたら、毎日朝ごはんの後から夕飯まで、ひどい時は夕食の後も、庭に出て植物の剪定。暑さには弱いはずなのに、お陽さまに照らされて木々の枝がぐんぐん伸びてゆくのを見ると、居ても立ってもいられなくなるらしい。
ブドウの蔓は電線でも何でも、生き物みたいに絡みつく。
垣根を覆う蔓草。2m以上ある塀を越えて触手を伸ばす。
キウイです。今年の蔓の先に来年は実がなるんだよ。
植物はすごいねー。人間はもう負けそう。でも負けていると庭じゅう取り返しのつかないことになるので、(宏)は健気に毎日がんばっているのです。
でも、隅っこのイチジクの枝を切ろうとしたら脇のフェニックスの葉先に突つかれて、よほど腹が立ったのか、フェニックスを切り倒しちゃった。
葉っぱを見せしめのため玄関に生けた? 五条河原の生首か!
そして葉を取られた胴体は,巨大な生ワサビとなりました。
バニューの夏の一日は,こうして過ぎてゆくのです。(由)

2013年7月26日金曜日

近ごろのソー公園。

あまりに暑くて、ブログを書く元気も出なかったこの数週間。でも感心に太極拳の練習だけは続けていたので、ソー公園の様子の報告です。
鴨たちは暑さに弱いのか姿を見せず、広い運河には白鳥が一羽。
ゆったりと優雅に浮かんでいるが。
じつは白鳥ってすごく意地悪で獰猛。ウチの子供たちが小さいころ、よくそばに寄って行ってはつつかれて悲鳴を上げていた。危険なのです。
よく見ると、なるほど悪そうな顔をしている。
性質が悪いせいなのかどうかは知らないけれど、この運河の白鳥はいつもひとりぼっちで、鴨たちもカモメも近づかない。
さて、いまソーのお城の前庭は、 ルノートルの設計した当時の庭に戻すという触れ込みで大改装中。そこから出た大量の土が、白い桜の園のそばに積み上げられています。そこに雑草の種がいろいろ飛んで来て花が咲く。なかにひときわ目立ったのがカモミール。
柵がなかったら摘んで帰りたいんだけど。
ふつうカモミールは花が野菊ぐらいの大きさなんだけど,これは大きい。もしかしてマーガレット? とも思ったけど、葉っぱが違う。
ところでウチの庭のマーガレットは、これも葉っぱが日本の花屋さんで売っているマーガレットとはどうも違う気がするんだけど。フランスの人はみんな,これがマーガレットだというのです。なんか不納得。(由)
マユミさんにもらった苗が,毎年元気に咲いてくれます。

2013年7月6日土曜日

母の日と父の日のプレゼント。

この前フランス建築・文化遺産センターに行ったとき、売店を冷やかしていたら素敵なお土産を見つけた。文化遺産センターのほうに展示されているロマネスクの柱頭彫刻のミニチュア模刻。
もう30年以上もむかし、初めてフランスに長期滞在していたとき、故・堀内誠一さんに「ヴェズレーとオータンに行かなきゃ」と薦められ、2つの町の聖堂を見に行った。タンパンや柱頭に浮彫りにされた彫刻のおもしろさ、可愛らしさに夢中になり、それ以来ロマネスクのお寺巡りが趣味になって、今でも巡礼のようにあちこち見て回っているのです。とくにこのオータン大聖堂の柱頭彫刻の「三博士の夢」は、大好きで、その当時(宏)が木版画を彫って年賀状にしたくらい。可愛い天使が星を指さして「ベツレヘムに行きなさい」と言っている。
樹脂ではなくて、一応ちゃんと石だって。29.50ユーロ。
もうひとつはヴェズレーのサント・マドレーヌ聖堂の、やはり柱頭彫刻で「神秘の粉ひき」。モーゼが小麦を注ぎ、パウロがそれを粉にひくところ。
細工が細かくないせいか、これはたった19ユーロだった!
売店の隅のガラスケースで、誰も見ないようなところにずっと置かれていた。二人とも大喜びで、すぐに「買おう!」って決めたのだけれど、ちょっと衝動買いには高いよね。
「そうだ、母の日のプレゼントにしてもらおうっと」「じゃ、もうひとつは父の日だね」というわけで、これはフミオくんとナオコさんからのプレゼントになったのでした(なんて勝手な親たちだ)!
ちなみに、日本では5月の第2日曜日が母の日だけど、フランスでは5月の最後の日曜日なので、日本の人と話しているとときどき話が食い違ったりする。そして父の日は6月の第3日曜日、らしい。私の時代には父の日なんてなかったから、いまだにピンと来ない。(由)

2013年6月27日木曜日

三本脚の椅子。

3週間前のこと、(由)は棚に蒸し器を載せようとして椅子から転げ落ち、椅子の脚で胸を打って肋骨にヒビが入ってしまいました。
いつも台所で食事時に使っている3本脚の椅子に、ヒョイッと不注意に乗ったのがいけなかった。でもふつうに動けたので、大したことはないと思っていたのだけれど、念のため数日後に病院でレントゲンを撮ってもらったら、「あ、折れてます」だった。といってもコルセットもテーピングも不要で、3週間経てばくっつくから大丈夫、太極拳の練習もOKというので、ひと安心。
で、あっという間に3週間経ちました。今日からもうフツウの健康体だぞ。
でもカワイソウなのは3本脚の椅子。たしかに食事のときにも、ちょっと体重を片方にかけるとグラッと倒れそうになったことは何度かあって、(宏) は「危ないねー」と言っていたのです。事故(?)のあと、「もうぜったい捨てる!」と宣言されて、車庫の隅の大ゴミ置き場に持っていかれてしまった。
2脚セットで、すごーく頑丈な作りなんだけど…。
何年か前のフォントネー・オ・ローズの青空市で1脚2ユーロで買った椅子。 4センチくらいある部厚い木を組んだ、ちょっとシャルロット・ペリアンな形が好きで、重いのを一生懸命ひとつずつ抱えて持って帰ったのです。捨てるには忍びない。でも「捨てなかったら、ぜったいまた乗ってひっくり返る!」と怒られた。哀しい。(由)