2012年11月8日木曜日

ノルマンディの海辺。

日本から典子さんがお母さんの介護の隙間を縫って息抜きにやって来たので、3人で2泊だけの小旅行に行きました。
天気予報は雨模様だったけれど、サン・ラザール駅から汽車でフェカンへ。駅前の観光案内所で地図とエトルタへのバスの時刻表をもらって、まずは海岸へ。
典子サンは「晴れてないほうがノルマンディの海っぽい」と満足。

















時おり薄日が射す石浜で海の空気をいっぱい吸ってから、小さなレストランでタラのノルマンディ風の昼ごはん。この後のごはんも、牡蠣、エビ、カニ、エイ、ホタテ、ムール……と、昼も夜もたいてい海の幸づくしだった。
フェカンにあるアール・ヌーヴォーの家。


















ベネデイクティン酒のミュゼになっている華麗な館やアール・ヌーヴォーの家のある、小さな町をぶらついて駅に戻る。夕方までバスがないので、タクシーでエトルタへ。
エトルタ、アモンの岬。











モネ『エトルタ風景』(オンフルール・ブーダン美術館)






















雨模様の中、典子さんと(由)は上の写真アモンの岬の崖の上へ。数日前に背中を傷めてイナバウワーイテテ状態?だった(宏)は宿で昼寝。翌朝、西のアヴァルの岬には3人で上りました。
2人は突端まで。否イナバウワーは遠慮。

















ロマネスクの教会や『怪盗ルパン』のモーリス・ルブランの家などを眺め、今度はバスでル・アーヴルへ。牛の群れのいるのどかな平原から一気に下りるとサント・アドレスの海岸で、すぐにル・アーブルの街の浜辺の入口ポルト・オセアン。バスは駅まで行くけれど、とりあえずここで下りてみた。
デュフィ『サント・アドレス海岸』。(ブーダン美術館)

















ポルト・オセアンに真新しいトラムが停まっていた。でも開通は12月。カートを引っぱる典子さんと(由)の後を手ぶらの(宏)が追って広い直線街路を行く。第二次大戦末期にイギリス軍の爆撃で徹底破壊されたル・アーヴルは、戦後の復興計画で建てられた街並が続いている。
猛爆で8万人の住居が壊され5500人が死んだという。

















「オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル」としてユネスコの世界文化遺産になっている整然と規格化された街並は、無機的でなんとなく全体主義的で、どうも好きになれない。
昼ごはんを、と思ってレストランを物色したんだけれど、飲食店の集まる地域も見当がつかないし、同じような建物の同じような構えだから、ここがよさそうというカンも働かないのです。でも市庁舎近くのモダンな内装のクレープ屋(ここだけ海の幸じゃなかった)は、ちゃんとおいしかった。
ル・アーヴル駅からのバスでノルマンディ橋を渡り、セーヌ対岸のオンフルールへ。
セーヌの河口は広ーい。

















デュフィの絵でも知られるオンフルールいちばんの名所旧港は、だいぶ前の初夏に訪れた時、日本のお絵描きツアーの皆さんが画板を並べていてびっくりしたけれど、この日は強い雨でひっそり。ブーダン美術館を見て、ごはんを食べて坂道の上の宿へ。
翌朝も小雨、サティの生家は休館日だし、教会の天井を眺めてからバス乗り場へ向かった。
アルクイユのアパートに比べて立派なサティの生家。











船大工が造った教会は船底天井。











教会前の家の屋根のネコ。


























で、海岸沿いに走るバスで、SNCFの駅があるドーヴィルへ。ここはさすがに高級避暑地、豪壮華麗な別荘が並んでいます。
ジャン・ギャバンの家。










だばだばだのはまべだば。



















 小雨にけむるダバダバダの砂浜を眺め、市場近くに見つけた定食屋で最後のムールを食べて帰りました。(宏)

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