2011年3月17日木曜日

シェルブールは 今日も雨だった。

◉東宝ミュージカル『シェルブールの雨傘』公演プログラムからの再録/日生劇場・2009年12月/シアターBRAVA!・2010年1月。

シェルブールはノルマンディ地方の西端コタンタン半島にある港町である。
ノルマンディの海岸といえば、奇岩の景勝地エトルタや美しい港町オンフルール、そして映画『男と女』のドーヴィルなどが思い浮かぶ。シェルブールは、こうした観光客でにぎわうリゾートとは離れた場所にある古くからの軍港で、対岸の英国海岸との連絡船が発着し、貿易港、漁港としても栄えている。















ナポレオンの命令で、18世紀末から19世紀初めにかけて造られた港は、入り江の入り口に要塞島や大規模な防波堤を築き、その内湾の海底を掘って大型艦艇が停泊できるようにしたもの。今も港の主要部分は原子力潜水艦を持つ海軍基地として使われている。
日本では、映画『シェルブールの雨傘』の舞台としてのイメージが強いが、最近では近くのラ・アーグの施設で再処理された核燃料と、ガラス固化体に加工された核廃棄物が、日本に返還されるときの積出港ととしても知られている。

連合軍の上陸に備えドイツ軍が造った塹壕跡。

















終着駅。

パリのサン・ラザール駅を出た急行列車は、ノルマン公の城下町カンや、マチルド王妃のタピスリーで知られるバイユーを経て、シェルブール駅に到着する。カンやバイユーのすぐ北側には、連合軍の「地上最大の作戦」が行われた上陸海岸が広がっている。
パリからは3時間。終着のシェルブール駅は、映画『シェルブールの雨傘』で、従軍するギイがジュヌヴィエーヴに見送られてアルジェリアの戦場に向かうシーンが撮影されている。動き出す列車と、みるみる小さくなって行くジュヌヴィエーヴ。悲しいしい別離のシーンである。

今もちょっと切ないシーンが……。















今は新駅舎が建ち、ホームには流線型の列車が停まっているけれど、ホームそのものやレンガ造りの旧駅舎は、当時のままの姿で残されている。

旧駅舎。











新駅舎前には海軍の水兵とガールフレンドたち。


















ガラス張りの明るい新駅舎を出ると、すぐに潮の香りが漂う船だまりがある。。大小の漁船が停泊する岸壁に沿って北へ向かうと、ほどなく水門のある橋のたもとに出る。橋の向こうには無数のヨットが並ぶ波止場が続き、その先に大型船の港が広がっている。

漁船は早朝に戻って小休止中。

















波止場。

シェルブールを訪れたのは10月の後半、時おり冷たい雨がぱらつく日だった。
朝の漁を終え、網の始末をする人たちの周りにカモメの啼き声が響き、帆を下ろしたヨットのマストが、海から吹き付ける北風でぶつかり合ってコンコン音を立てている。
船を見下ろす船だまり沿いの岸壁は、映画冒頭のセピア色のタイトルバックを始め、ジュヌヴィエーヴとギイ、ジュヌヴィエーヴとカサール、失意のギイ、そしてマドレーヌとギイが、それぞれの想いを秘めながら歩くシーンで繰り返し登場している。

帆を下ろした無数のヨットが来年の夏を待っている。















その波止場の向こうに、ちょうど寄港中だったクイーン・メリー号が、巨大な姿を見せていた。シェルブールは古くからサザンプトン=ニューヨーク航路の寄港地で、タイタニック号も寄港していたという。

ナポレオン像とクイーン・メリー号。















小魚を探すカモメが群れ飛ぶ波止場には、魚介類のレストランが軒を並べている。店先にはどの店にも「ホタテ貝入荷」のビラが出ていた。ホタテだけでなく、ヒラメやボラ、エビなどの海の幸はもちろん、牛肉や羊肉、カマンベールやバターの生産地もすぐそこが、パリでは考えられない値段で食べられるのだ。

狙った魚をくわえたカモメがさっと舞い上がる。

















雨傘の店。

波止場の西側がシェルブールの中心街である。河岸にかかる橋にほど近いポール(港)通りに入ると、13番地に小さなパッチワークの店がある。ここが『シェルブールの雨傘』でジュヌヴィエーヴ母娘が営んでいた雨傘屋だったところだ。
ウインドウにはパッチワークのクッションや色とりどりの糸や道具類が並んでいるが、その上には"Les Parapluies de Cherbourg "(シェルブールの雨傘)という、映画そのままの古い看板が掲げられている。
店の前は人通りも少なくて、今しも可愛らしいジュヌヴィエーヴがドアから飛び出してきそう。石畳だった道はアスファルトに変っているけれど、石造りの店のたたずまいはまるきり変っていないのだ。

カトリーヌ・ドヌーヴがやたらに可愛かった。















この通りの北には、ジュヌヴィエーヴが宝石商のカサールとの結婚式千を挙げた聖トリニテ聖堂がある。もとは15世紀に建てられたゴシック聖堂だが、高さ26メートルの塔や西側正面は、19世紀に増改築されたネオ・ゴシック建築である。

聖トリニテ教会。

















歩行者専用道路の商店街グランド・リュ(大通り)は、シェルブールのメインストリート。にぎやかなこの通りから入るパサージュ・オーブリーは、出征が決まったギイがジュヌヴィエーヴと歩いた場所。小さな路地の奥には、木組みの見える古い英国風の建物がある。表通りの喧噪が嘘のようなエアポケットに画廊やブティックが並んでいる。

パサージュ・オーブリー。
















グランド・リュの南に続くポルト通りに、上階の窓から見下ろすように、カラフルな雨傘を並べた店がある。ここは『シェルブールの雨傘』にあやかって開業したという傘とアクセサリーの店。そんなに大勢の日本人客が来るとも思えないのに、ここのウインドウにはなぜか、「シェルブールの雨傘」という日本語が書かれている。

色とりどりの“シェルブールの雨傘”。

















ミレーの肖像画。

商店街を南へ抜けたドゴール将軍広場に華麗な劇場が面している。19世紀末に建てられたイタリア風の建築で、ジュヌヴィエーヴとギイがオペラ『カルメン』を見たところ。劇場正面の横にあるカフェも世紀末風の内装が当時のままの姿で残されている。

オペラ、バレエ、クラシックの音楽会が催される。















劇場と背中合わせの建物が、市立美術館になっている。この小さな地方美術館には、フラ・アンジェリコやフィリッポ・リッピ、ムリリョなど、17世紀から19世紀のびっくりするほど有名な画家たちの作品が展示されている。
中でも見逃せないのが、『晩鐘』や『種蒔く人』でおなじみのジャン・フランソワ・ミレーの作品群だ。1814年にシェルブールの西17キロの村グレヴィルで生まれたミレーは、修業のために19才でシェルブールにやって来て、ここの収蔵作品の模写に励んだという。
ここにはルーヴル美術館にある名作『施し』の別バージョンや、今まで見たことの無かった肖像画など多くのミレー作品があるが、若くして亡くなった彼の最初の奥さん「ポーリーヌ・オノ」を描いた2点の肖像画がとりわけ魅力的だった。











2点ともポーリーヌ。下は病気で死期が近いとき。




















美術館を出ると雨足が強くなっていた。

もちろん晴れの日もあるはずだけれど……。
















映画のラストシーンのガソリンスタンドを見つけることは出来なかったけれど、雨傘をさした人々が家路を急ぐ波止場の情景は、どこか幻想的で美しい。シェルブールの港には、やはり雨がよく似合うのだ……。(宏)

*写真はプログラム掲載のものよりも点数を減らし、一部は別カットを使っています。

1 件のコメント:

  1. 画面から伝わる荒涼としたノルマンディの空と大地。その土地の持つ風土はいつの時代も同じですね。

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